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お彼岸のこと

 昨日からお彼岸です。彼岸会とも言います。「ひがんえ」です。「ひがんかい」ではありませんよ(笑)

さて、昔からよく「暑さ寒さも彼岸まで」なんて言いました。肌で感じていたのでしょう。感覚で捉えたことを「言挙げ(ことあげ)」する。殊に日本人は、明快に短い言葉にまとめます。洒落が利いており、野蛮なストレートさがないのが特徴です。わびる・さびるというものが、言葉や所作に入っている。

感覚で捉えるしかないものを伝えるのは、感覚でしかありません。整体の技法や観察・知識もそういうものなのでしょう。野中操法だってそうなのでしょう。14日の「特別講座」では、一切奇妙にいたる工夫の大ヒントをお話しました。僕自身が知りえる情報の中で、これはという一つをお話したわけです。自分自身も、この一事を修業し続けているのです。

お彼岸の時節の肌や骨の感覚などを通じて、かつての日本人は、春や秋を感じていました。便利とか物が溢れる豊かさとは、一体何んなのか。肌で四季を感じて味わう。肌で人と人の暖かさを知る。見せかけの豊かさ便利さのあまり、日本人はすばらしい感性を失いつつあるのではないか?

お彼岸の中日には、お日様が真西に沈む。真西には「西方極楽浄土」があり阿弥陀仏がおわしますと信仰されていたから、彼岸会という行事ができたとか、仏教では偏りのない「中道」が根本だから、これを行事としたとか色々あります。お彼岸成立には諸説あるのです。

僕自身は、坊さんでもあったわけで、こういう理屈はよく知っている。それどころか生意気にも在家の方々にお話もしてきた。しかし、本当はそんな理解では、彼岸成立の謎は解けないと思う。

春と秋の2度のお彼岸季節の、肌や骨からくる感覚が、我々とご先祖のお御霊を近づけるのではないだろうか?僕はこのことを以前から感じていた。なぜかこの時期に故人の霊夢を見るのだ。それは昔からずっとそうだった。

古代の人たちは、魂棚(たまだな)に祖霊を祭った。これは仏教渡来以前のことだ。お仏壇の原型はそこにある。このことは柳田邦男氏も言及している。理屈抜きに、祖霊を肌で感じる。お彼岸のご供養という形式、型を通じて、大昔の日本人と意識を共有するのだ。そういう感性を失なっている日本人が多くなっていることに危機感をもっている今日この頃である。

| kawashima1092 | 09:21 | - | - | - | - |

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