Entry: main  << >>
年輪 【桃栗三年柿八年人生一生】 長寿の修行
チベット式柴燈護摩 サンの香炉
     (サンの香炉)
今年は瀧行を久々に再開したので、更にもう一歩突っ込んで火の元素の修行である柴燈護摩法(さいとうごまほう)もやりたいと考えている。道場内のいわゆる護摩壇でお焚き上げする法とは違い、護摩法の作法もシンプルでやりやすいものだ。

チベットにも同様の法がある。サンと呼ばれるものだ。意義はほとんど日本の柴燈護摩と同じであり、香木や香草などを焚くのである。煙に乗せて供養の物を仏天にささげるのだ。

僕の教授するのは柴燈不動護摩であり、不動明王と蔵王権現が本尊になっている。この法を教授してゆくにあたり、屋上にて出来る限り、毎日サンをやりたいと考えているのだ。或る在日チベット高僧にもご相談し、チベットのサンと柴燈護摩を合わせておこなう行法次第も完成させている。

先般の講習会では柴燈護摩法の火天壇まで伝授した。これに霊符、秘伝印法、その他さまざま教えて、実際に修行をしてゆけば、瀧行と護摩行のできる密教霊術家が続々と出てくる。たのしみである。

世間では、桃栗三年柿八年梨の馬鹿芽は十八年などという。しゃれた禅僧などは人生一生などと句をつける。護摩法の薪をつくるため、このところ木材を切っている。ヒノキの大きな切り株が手に入ったので年輪を数えると三年八年十八年どころではない、130年だ。20年や30年の太さを見てみると大したものではない。45年〜50年たつと漸く立派な太さだ。70年〜80年の太さだと大したものだ。しかし、どっしりとした感じは120年の年輪を過ぎたものでないと感じられない。

これは人間も同じなのだと思う。20歳には20歳の、30歳には30歳のあり方があろう。どんなに背伸びしても20年30年ぐらい生きただけでは底が浅いのである。まして整体や宗教などの人間の心に接する仕事では、その任に耐えうることができないであろう。通用していると勘違いしているのは本人だけだったりする。まことにお笑いである。

僕の師匠のさらに師匠は120歳の長寿を保って修行したと言われている。なぜ長生きが必要なのか?というと、なるべく境地を深める修行のためにより安定した状態でいたほうがよいからである。人間でいるということは無限の可能性があると言われている。そのために長寿の修行は密かに行われる。何かをやっているということすら口外してはいけないのだ。

だが例外的に口外するしないということの制約のない法もある。「マンダラーヴァ長寿の修行」がそれである。この修行により、人間を生存させている一種の気である「ラ」「レ」などの命息・魂・霊を守り強化することができる。ちなみに呪詛というのは、このような根源的な気を損ねるものなのである。

人生一生、これ修行である。堂々と年輪を重ねてゆきましょう!

樹齢130年 檜の切り株
  (樹齢130年の檜の切り株)
| kawashima1092 | 21:35 | - | - | - | - |

Calendar

   1234
567891011
12131415161718
19202122232425
262728293031 
<< August 2018 >>

Profile

Recommend

Recommend

Recommend

Recommend

Recommend

Recommend

Search

Entry

Archives

Category

Link

Feed

Others

無料ブログ作成サービス JUGEM

Mobile

qrcode