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整体の立処 【自分の命はどこから来たか】 父の日に
自分の命はどこから来たのか?
生命観の1つに輪廻転生というものがある。僕は仏教の教法は随分と勉強しているし、実際にチベットのラマで前世の記憶を持つ方々を知っている。だから、輪廻転生というものがあるのではないか、という生命観は理解できる。

いま、ここで述べているのは、霊魂みたいなものがあって、それがどこからどこへゆくのかということではない。肉体を持つ我々が、現実にどのようにして生まれたのか、ということを述べているのだ。

わたくしたちの命は、両親から享けたものだ。そんなことは当たり前だが、現代の親子関係というものを観てゆくと、その当たり前のことが忘れられているように感じる。親のあり方、子のあり方が、おかしなものになっている気がしてならない。

整体は、命と正面から向き合うものだ。操法は指導の大切な方便だ。命のあるもの同士が向き合うからこそ、整体操法指導は成り立つ。命があるということ、これが一番大切なことだ。人間の命の力は、体を通して発揮される。命=体なくして整体は無いのだ。整体操法の立処は、命であり体である。

仏教の経典に『父母恩重経』がある。昔、中国で創作された経典だ。しかし、仏陀シャカムニにしてもキリストにしても、父母との逸話は必ず出てくる。人間として生を享けたからには、父母無しには存在し得ず、恩を受けない者は無い。神・佛と言われた方ですらそうなのだ。自分の大切な命があるのは、父母無しには、あり得ないのである。

例えどのような親であろうとも、まず命を授けてくれたことに感謝する。これが本来のあり方だ。今の時代、親とも思えない親がおり、子供とは思えない所業をする子供がいる。まさに修羅場だ。

こんな時代にあって、我々、野中操法家はどのように活動すべきなのか。命の本源、整体の立処について深く考えたいものである。
| kawashima1092 | 00:00 | - | - | - | - |

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