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大熊光山著 【光山相法】 無くて七癖
人間『無くて七癖』と言います。どんなに偉い人でも、完全な人間などいません。不完全な者同士が共存しているからこそ、協力もあり競争もあり、物事は発展してゆくのでしょう。あるいは良くないことも起きるのでしょう。

野中操法や整体操法のなかに『人心看破の法』というものが、特別にあるものではないが、僕は個人的に「相法」というものを趣味にしている。これは好きなことでもある。プロフィールに「趣味:相法」と僕は書いているが、これは間違いではない。操法ではなく相法だ。

相法とは何かと言うと、人相をはじめとした観相のことだ。
「黙って座れば、ピタリと当たる!」なんていうのは、なかなか名コピーだが、これは桜井大路先生という方のところで云われていたことだ。八木先生などの名人もいたし、こちらの相法のほうも、かつては大物がいた。

皆さんは、大熊光山という先生をご存知だろうか?
この方は『光山流観相学』というものを創始した方だ。手元に「光山相法」というものの写本複写がある。この写本には、人心看破の法が克明に記されており、読んでいると大変参考になる。

人の動作と運命の関係を論じている。こういう動作、仕草をしたら、このように考えているなど、非常に面白い。天源淘宮術(とうきゅうじゅつ)でも同じことだが、この干支はこういう性格で、こういう運命だという。こういうものを学ぶ上で、気をつけなければならないことがある。それは、専ら人を見ることに使わないことだ。自分を観るための手鏡だ、という自覚が先ずなければならない。

その上で他人様も観てあげるということだ。
例えばこういう記述がある。後学に為に記そう。
『一、 誰もいない時、自分の前で自分を戒めてくれたり、忠告してくれる者は、真情自分を思う人でございます。しかし、この場合ただ威張って叱るような言い方をするものは義理があっても人情のない人でございます。』

この写本では、面白い記述が延々とつづく。
しかし僕は、いちいち人と接するのに観相などやらない。我宇宙の真ん中にあり、対座する人も真ん中にありと思っているから、すべて自分の鏡なのだと考えている。

先の光山先生の記述からすると、善意がある人は、一対一で忠告なり、注意をしてくれるものだ。逆の場合は、どのように装うとも、何らかの意図があるものだ。己という存在や主張に執着して、常軌を逸している言動は聞く必要がない。相手に大切なことを伝えたいと思っているなら、直接会って会話するだろう。相手に本当に伝えたいことがある場合、誰でもそうするものだと思う。人に忠告する場合、意図が正確に伝わるように気をつけなければいけない。

大熊光山先生の「光山相法」の一部を野中操法研究会の皆さんにもお見せしようと思う。自分を観、人心看破の法として活用していただければ幸甚である。
| kawashima1092 | 10:48 | - | - | - | - |

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