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野口晴哉著 【整体操法読本】を読む(2) 整体操法を学べる人に
明日、野中操法講習会を行なう。今回は二部制で行なうことにした。
第一部は、今までと同じく野中操法の基本を教授する。基本の『型』を中心に学ぶわけだ。後は活点その他。
第二部は、腹部操法の基本技の制定である。はっきり言って、野中操法と腹部操法、輸気法、これだけで商売できるような代物である。他の技術と組み合わせることも可能だし、これを中心にして操法ができれば、立派に操法家として身を立てることができると思う。熟達してゆけばの話であるが・・・。

この頃、思うことがあるのは、ものを学ぶということの難しさだ。僕にも門人というか弟子みたいなのが何人かいる。それは野中操法研究会において出会った方たち以前の人間だ。ものを学ぶには情熱があり熱心でなくてはならない。しかし同時に礼儀というものを失してはならないのだと思う。有名な道元禅師(いま映画の『禅』を上映しているがその主人公だ)の高弟が『正法眼蔵随聞記』という書物の中でこんなこと書いている。「師の言、我がこころにかなわず」。道元禅師の吐いた言葉を弟子が記したのだ。こういう馬鹿者が世の中にはいるのである。まあこの師匠は何かいいことを言うかもしれないから、ひとつ聞いてやろうというような態度。礼儀なく、真剣さが足りないのである。計算や小賢しさがあるが真心がない。こちらはとっくの昔に腹を割っているのに、見透かされている腹を割らない強情者。虚心坦懐に所信を述べよと言っているのにわからない。僕は彼の底まで見ているのに・・・。まあ言うまい。

野口晴哉先生は【整体操法読本】の中で、「整体操法を学べる人に」と題して次のように述べている。参考とされたい。

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整体操法を学べる人に

   一
整体操法を体得されて之を多くの人に行ってその苦しみを救い、その悩みを解決し、自ら立つ力を自覚せしめ、自分の足で歩ましめるやう導くということは良いことであって、このことを業として行ふことは差支へないのみならず寧ろ望ましいことでありますが、しかし整体操法を行ふといふことは食べるための職業であってはなりません。整体操法は人間の相互の愛情と誠意の現れであって、利害得失によって行はれるものであってはならないのであります。苦しむ人悩む人を、自分の食物を運ばす人にしてしまふ心が少しでもあっては整体操法は本当に行へないのであります。世相がどのように乱れましても、医術ということが営利の為に行はれるやうなことがあったとしても整体操法を行ふ同志の人達は医は仁術といふ古諺をすててはなりません。三度のめしを二度にへらしても腹一パイ食べる為にこの道をそれてはなりません。吾々は真心で行動する道を行くのです。世の中が利害得失の為に動くやうになればなる程、清節を全うする者の存在は必要なのでありまして、整体操法の同志は一人としてこの道を踏み外づさぬ心がけで整体操法を行って欲しいのであります。整体操法は今迄の意味での職業では無く人間の信念としての行動であらねばなりません。(つづく)
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上記のことは野中操法指導者にも言える。野中豪策先生は野口晴哉先生が最も認めていた操法家だ。野中先生の高潔さは野口晴哉先生よりも凄いと僕は感じている。さまざまな逸話からそう感じるのだ。野口晴哉先生の上記の文章を読んで、多くの人がそんなバカな、と言うであろう。

だからこそ信念が必要なのである。
「念ずれば必ず現ず」という信念・気合が必要なのである。それは客集めではない、世のため人のためになるという強烈な思念・信念である。自ら立つ力を自覚せしめるのである。野口晴哉先生の言う全生というものを自他共に実現することを活動の本質とするのである。これが整体操法・野中操法を行なってゆく者の、道しるべ、指針である。

いざ、このこと全うできるや否や
| kawashima1092 | 00:32 | - | - | - | - |

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