Entry: main  << >>
野口晴哉述【潜在意識教育】(3) =漠たる一点(3)=
野口晴哉述【潜在意識教育】(2)=漠たる一点(2)=
の続きである。例よって引用する。

------------------------------------------------------
  漠たる一点

・・・ところが実際に心身に残る異変は、この不快によって方向づけられている場合が一番多い。恨み憎しみすら一瞬の不快によって方向づけられた感情上の産物に他ならない。固応の働く傾向を方向づけるものも又不快なのである。不快を見逃して精神指導はないと申しても過言ではない。しかし、不快を不快と感じ得るのは、快というものがあるからに他ならない。それ故、快が不充分な者は不快も不充分である。粗食に慣れた人が粗食を不快と感ずることは少ないが、美食に慣れた人は粗食を粗食と感ずる如くである。それ故、不快が精神の方向づけを行なうことは快の多い人に多いため、屡々見逃される。・・・・
(つづく)
------------------------------------------------------

次回で『漠たる一点』の引用はおわります。
今回の引用部分で大切なところは、

『不快を見逃して精神指導はないと申しても過言ではない』

というところであろう。
野口先生は言い切っている。正確な観察によって、その人における「不快」というものが判るのであろう。では何によってそれを観るのかということが操法をやるものが大事としなければいけない問題である。

野口先生は言っている“判別困難” なことが多いと。

個人の素質として知っておくと便利なものに『体癖』がある。これは野口晴哉先生の独自のものである。元になるものは、どこかにあったかもしれないが、あれだけ観察しぬいて、体系化したのは野口晴哉をもって嚆矢といってよいであろう。

しかしこの『体癖』が曲者なのだ。なかなか判らないものだ。だから先ず読み物として、体癖に関した書籍を購入して読むことからお勧めする。野口先生の『体癖機Ν供戮ベスト。片山先生の本も、まあ判りやすいかな。あんまり深刻になって見分けるなんて考えないほうがいいです。

所詮人間は、生き物ですから本能がある。受け入れられていると本能がわかれば心を開きます。ご本人が自然に教えてくれるというのが本来のあり方です。技術が上手になり、観察もできる、そんなふうに一流大家になると「俺の技術観察で治したのだ」なんかなりがちです。

キリストは、死んだ人間を蘇らせても「俺が生き返らせた」なんて一度も言わなかったでしょ。操法者は「慢心の陥穽」に嵌まらないように気をつけていただきたいなぁと思う。

『漠たる一点』の最終回は、どのようにして観てゆくのかを論じたいと思う。
| kawashima1092 | 08:15 | - | - | - | - |

Calendar

 123456
78910111213
14151617181920
21222324252627
28293031   
<< January 2018 >>

Profile

Recommend

Recommend

Recommend

Recommend

Recommend

Recommend

Search

Entry

Archives

Category

Link

Feed

Others

無料ブログ作成サービス JUGEM

Mobile

qrcode