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野口晴哉述【気合から愉気へ】谷響き惜しまず明星来影す
さて野口晴哉【触手療法講座】である。その中の一節に『気合から輸気へ』と題したものがある。気合法をわがものとする決意をしている諸兄は、熟読されたい。以下引用する。

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気合から輸気へ

私はその時分輸気をして気合をかけておりました。手を押さえてそこへ心を集めておいて気合をかけておりました。だから近所の人は気合の先生だと言っておりました。ある人は僕のことを交番で聞いたら、あの気合術の先生かと云って場所を教えてくれたと、気合術の先生というのは相当有名で、浅草の方でもその交番で聞いたのにちゃんと教えてくれたということなのですが、気合をかけている。その気合がだんだんだんだん黙ってフッと集注するようになって輸気というものに変っていった。静かにこうやって行くのが私の輸気の流儀でなくて、一瞬フッと自分の全部の気をパッとぶつけていく、それが私の輸気の仕方なのです。その為に気合の練習をして、みんな山の中に行って、滝の前で行をして気合などをかけますと他だとこだましても滝の前だとこだましない。こだまするまではその気合ができていないというのでセッセッとやりました。そんなようにして一生懸命教えましたが、この様に教えていって、一生に何人教えれるだろうかと思った。・・・・
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滝の前で気合法の訓練をする。
こだまするということが大切で、本当に気の入った声でないと声が落ちてしまう。反響しないわけである。僕の経験によれば、声質とも関係がある。つまり比較的低い声になると反響するのだ。下腹に力がかからないと、滝の前で反響するような声はでない。
気合ということではなく、滝行のなかでも同じことが言える。
滝の中に入り、真言や秘呪を唱えるが、このときにも反響を利用する。その滝にピタリとあう『振動数』があるのだ。その振動数を反響させながら滝の修行をする。行のあとで、瞑想黙想するとなんともいえない、その振動数を味わうことになる。僕はこのような滝の修行を随分行った。
野口晴哉先生は【触手療法講座】で、滝の前の『こだま』について言及している。このことは一行者として僕の共鳴するところである。
日本密教の開祖とでもいうべき、弘法大師空海上人という方は、その著書「三教指帰」のなかで、法の成就のときを捉えて次のように表現している。
『谷響き惜しまず 明星来影す』と。
おそらくは野口晴哉先生もこの境地を体現していたに違いない。これは僕の憧れの思いでもある。
| kawashima1092 | 10:55 | - | - | - | - |

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