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野口晴哉述【触手療法講座】を読む(1) 潜在意識の方向指導
久々の記述である。このところ野口晴哉直伝の気合法修練会について、また野中操法講習会について熱心な方々からお問い合わせがきている。僕の書いた拙い記事を読んでくれている方達がいる。なんとありがたいことであろうか。一人一流派を標榜し、野中操法と整体操法そのものとの統合を果たし、現代の状況にあわせたところの操法を創生し提供してゆく。僕は無数の操法家が出現することを望む。自分がまず豊かになること。皆が操法によってそれをめざしてほしいと思う。
僕のところには

『豊かな心とは、無い時は無い様に生きることを楽しみ、
 有る時は有る様に楽しんで、それにこだわらず、 
 いつも生々溌剌とした気分で一日を暮らせることだ。 』
                    (野口晴哉著「風声明語」より)

と墨書した掛け軸が飾ってある。もちろん僕が書いたものだ。この言葉を根拠に、我が処を『楽豊堂』と名づけたのである。いつでも楽しく豊かに在る。それは天心であることであり、腹に気力を充実させることで実現する。具体的方法としては気合法・深息法だというのが僕の主張するところだ。だが操法や治療をしてゆくということについて、忘れてはならないことがある。それは野口晴哉の潜在意識教育である。彼は潜在意識の方向指導ということを説いた。以下、野口晴哉述【触手療法講座】より引用しよう。熱心な方々の資になればと思う。

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潜在意識の方向指導

私はたびたびいじるということは、看病人の不安の為だと、手遅れを乱発するのは技術の下手な為だと、自分への言いわけだと、受ける人の言いわけだと。そうして病人自身は人に治してもらうものと寄りかかっている。立っていることは立っても、自分で立つ気がなければ立てない。足があったって、大便することだって自分できばらなければでない。もっともきばりさえすればでると思って朝から一生懸命きばったってそうはでてこない。でたくなってでる。体の欲求にそって初めてそういう気が体の動きに力になってゆく。だから必要なことは体の中の回復欲求をひき出すことだと。それにそって動作することが大事です。どんなに難しそうにみえるものでも怯えないでそうしていけばみんな処理がつく。私は病気を治すようになっている時代にそういうように考えました。看病に手を尽くすなんていうのは看護人の自分の満足の為で、自分の不安の為です。余病なんていうのは自分の技術のない為です。いや自分をごまかす為だと、言い切るのはそういう経験を持って、そういう問題で深く悩んできたからであります。
病気になってから病気を治すというようなことを計画することは間違っている。病気になって、病気の名前がつくようになって初めて治療法ができるという生き方では駄目だと。病気になる前に治すことを考えなければならない。病気にならないように体力を発揮して生活することを考えなければならない。みんな衛生という言葉で怯えてしまって、働かないように、栄養を余分に食うように避暑避寒するようにというように弱い病人用の衛生をそのまま健康になってもやろうとする。そうしてその体力を発揮しないような萎縮させるような、守ったり庇ったりすることだけを衛生法だと思い、環境を改革することだけを、つまり多勢の為にやる衛生。環境を改革する為のだけを衛生法だと思って個人個人の体力を発揮するという面が完全に忘れられてしまっている。そういうような衛生方法を守らなければ不安になるというようになったのでは、もう全部の人が病人、受験生のようなもので、そういう気持ちで生きていたらば、体力を発揮できない。もっと人間が生き生き発揮されるものだと、そう思いましてそして私は衛生生活の改革の方が大事であり、病気を治すことよりは病気にならない、いや一日の生活を体力を発揮するように生活するにはどうしたらいいかということを組み立てる方が大事であり、そういう心構えを作り出す一番の基の潜在意識の方向指導が一番根本的な問題だと、そう思いまして病気治療ということから体育という面に方向を変えたのであります。それはもう一人でいくら気張ったって、治すとかよくするとかいう人達の数はたかがしれている。もっと人間の教育の面にそっていくらでももっと自分の生きているうちに多勢の人が丈夫な生活をする道が、本当に見つかって、それが一つ一つ開かれてゆけば、それは健康に生きるということに貢献するわけであります。
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次回も同資料から引用してみたいと思う。
野口昭子著『朴歯の下駄』においてこう記されている。
『・・・やがて催眠術を捨てた先生は、今度は、人間を催眠状態にしないで、さりげない対話の中で、潜在意識教育による個人指導の方法を考え出すのである。・・・』と。
では、何処に着手の処があるのか?
それは礼からはじまるのである。
だから整体操法における礼は形式ではないのである。
潜在意識教育、潜在意識の方向指導のはじめに生命に対する礼がある。
操法家、真の治療家はこのことを肝に銘じておくがよかろう。
| kawashima1092 | 23:21 | - | - | - | - |

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