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野口晴哉『体操のおこり』 【整体体操ノート1】を読む(3)
昭和34年3月【整体体操ノート1】発刊。

野口晴哉著『体操のおこり』の全文をご紹介しよう。

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 体操のおこり
 
原始の人には体操はありませんでした。
それは衣食住みな自分の体を使って営まねばなりませんでしたから、体の使い方は平均し余分な知識の為の不安が無いので眠くなって眠り、醒めて起きていたので一日の疲れは一日で抜けておったのでしょう。
もっとも外傷や悪いものを食べた為におこる体の変動はありましたでしょう。その時は自然の反射運動で傷口を押さえるとか、凝ったところを叩くとか、泣きわめき体をゆすぶるとか 無意識の体操をして調整したかもしれませんが、意識して体操の必要を感じだしたのは生活様式の分業によって体の使い方が偏りだしてからだろうと思います。縫う人は朝から晩迄 針を指にもって腕を使い、脚を使うことは手のようではありません。考える人は坐って頭ばかり使い、観る人は木の上で眼ばかり使うようになって体の疲れる部部に偏りが生じたのです。その為に調整体操の必要を先ず体が感じ、たがやす人は脚を伸し腰を叩き、縫う人は眼を擦りまたたきし、ペンをとる人は手を伸ばして欠伸し、次第に之を意識して行うようになったであろうことは今でも同じことが行われているのであります。
文明が進歩する程 生活は分業化し、体操の必要は益々多くなっている筈でありますのに体の感じを段々粗末にしだした人間は異常を病気にし薬を服し湯に入ることを憶えて 体操を怠ってしまいましたが、いつの時代になっても自分の糞は自分で気張ることが一番早道であります。他人の手を煩わし、その人の手伝い方を褒めたり、けなしたりして、自分で気張ることを忘れてしまっているように、人間は自分の体のことを人任せにしだして体力を失いだしたのであります。そして体操はスポーツ化し、医術とスポーツが体操の分野を冒してしまいましたが、しかし矢張り人間が本当に丈夫に元気に生くる為には自分でやる体操によって体をいつも整えておくことが一番大切だったことにいつかは気づくことでしょう。
それはともかくとして、体操のはじまりは体の使い方の偏りによる疲労の偏りに対して行われる動作なのであります。本会がこの昔々人間の知識が少く体の勘によって行っていた体操を生理解剖的に分類し、その個人の疲労の偏りの調整に端的に役立つよう組み立てたのが整体体操なのであります。

 もう一度本来の 体操を復活させることを 理解せられる人の 研究又実行を希望しております。

昭和三十四年三月

                      野 口 晴 哉

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次回は「体操のおこり」を踏まえつつ、野口晴哉著「健康の自然法」を引用しながら、体操法・愉気法等の本質を論じたいと思う。今回の書き込み予定の変更を諒とされたい。

| kawashima1092 | 00:06 | - | - | - | - |

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