Entry: main  << >>
野口晴哉 【整体操法の奥儀】(1) =跨ぎの型=
整体操法は昭和18年12月から翌年の昭和19年にかけて、整体操法制定委員会によって制定された技術である。同委員会で7ヶ月毎日審議を重ねたという。委員長は野口晴哉である。

上記のことが『整体操法読本 巻一』では次のように記されている。
「整体操法制定委員会は昭和十八年十二月設立し、昭和十九年七月迄毎夜の論議を経てその基本形を制定し、同月の東京治療師会役員会に発表し、全員一致の支持を得て之を東京治療師会手技療術の標準型と決定したのであります。ここに手技療術の新たなる発足が始まったのであります。個人のものから団体のものに移り、いろいろな角度からいろいろの検討が行われ、日一日しっかりした足どりになりましたことは、その後一年経た頃には大改訂行はれ、第一回制定のときとは面目を一新してしまったことで、その後も連日多数会員の協力が加わって進歩向上しつつあるのであります。独特の殻を破った手技療術の歩みこそ他のいろいろの療術の範をなすものであります。尚第一回の整体操法制定委員会は、野口晴哉(精神療法)を委員長として、次の十三名の委員によって構成されていました。梶間良太郎(脊髄反射療法)、山田信一(オステオパシー)、松本茂(カイロープラクティック)、佐々木光堂(スポンデラテラピー)、松野恵造(血液循環療法)、林芳樹(健体術)、伊藤緑光(カイロープラクティック)、宮廻清二(指圧末梢療法)、柴田和通(手足根本療法)、山上恵也(カイロープラクティック)、小川平五郎(オステオパシー)、野中豪策(アソカ療法)、山下祐利(紅療法)、その他に美濟津貴也(圧迫療法)他三、四名の臨時委員が加わりました。」

整体操法には、さまざまな操法・療術の技が導入されている。しかし、中心になっている技法は、野口晴哉の愉気を含んだところの操法である。整体操法の診るべき中心は、背骨およびその側である。側には1側〜4側ある。では、どのように操法を施すのかというと、型によってそれをなすのである。型のはじめは礼である。命に対する礼、これが一番はじめにくる。背骨の愉気、背骨の観察をする。操法そのものは、いわゆる『跨ぎ(またぎ)』これが一番の要だ。1側〜3側、すべて形が違う『跨ぎ』である。

この『跨ぎ』を磐石にすること、これが整体操法体得の修業において最も大切なものだと思う。僕の整体操法における先生は、それは見事な『跨ぎ』をされる。型を見ただけで実力がわかるのだ。中年の僕にとっては大変辛い修業だが、必ずものにしてみせると決意し毎日精進している。

僕は一指禅功という気功法も学んでいる。この気功法で大切なことは、型をきっちり決めることだ。茶道や武術でもおなじことであろう。先人は型により学び、型により力を出したのであろう。整体操法も磐石な『跨ぎ』の完成により、硬結の処理という、本物の真価を発揮するのであろう。

野中操法も同じことだ。型を習得することで、本当の治療術としての力量を発揮できるのである。では、磐石な型とは何によって完成するのであろうか。しっかりした足腰、身体全体のバランス、下丹田の充実などであろう。しかし、言うは易いが、体得することは生易しいことではない。本気になって整体操法や野中操法を掴もうとする人、僕はその人のことを同志と呼ぶ。例え会わずとも真の意味での同志である。そういう道骨のある同志が増えてゆくことを望んで止まない。
| kawashima1092 | 00:00 | - | - | - | - |

Calendar

 123456
78910111213
14151617181920
21222324252627
28293031   
<< October 2018 >>

Profile

Recommend

Recommend

Recommend

Recommend

Recommend

Recommend

Search

Entry

Archives

Category

Link

Feed

Others

無料ブログ作成サービス JUGEM

Mobile

qrcode