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秘伝:足の操法物語(2)
秘伝:足の操法は、中国に伝わっている手技が土台になっていることは述べた。

僕は中学生・高校生のときに陸上競技をやっていた。中学生当時は随分活躍したが、高校になるとさすがに才能がものをいう。相当能力がないと通用しないのだ。だから競技のほうからは興味がどんどん薄れていった。実は僕は子供のときから人間の足に興味があり、小学校に入学するときにも下敷きは足裏のデザインのものを選んだくらいだった。高校一年生のときに同輩と先輩の足の故障を見分けたりもした。足に興味があったからだ。練習後などにマッサージをするのだが、そのときに同輩の足に妙なシコリを発見した。同輩が整形外科医のところにゆくと、手術しなければいけないということで、実際に手術することになり、脂様の塊が出てきたということもあった。そんなわけで足のマッサージについて調べもした。僕の興味は足のほかに、人間学や宗教にもあった。ある東洋学者が『陰騭録』(いんしつろく)の解説を書いており、その中で柴田操法のことを説いていた。僕は神田神保町へゆき『柴田家庭健康術(全)』(手足根本療法普及会)という本を手に入れた。昭和28年12月1日印刷と書かれた本だ。通称:和通と書いてあり住所も記されていた。板橋のその住所まで訪ねた。しかし和通先生は亡くなっており、偶然息子さんの和徳先生がおられた。15、6才の僕の来訪を感心して、簡単ではあるが足の施術を教えてくださった。これが治療師の世界に入るきっかけの一つであったと思う。

僕は生来、神仏・信仰が大好きで、夢は修験者・坊さんの姿で求道して生きることであった。しかし、そんなのは夢物語であり、大学に進学するのか就職するのか、どうするのか決めなければならない時期になっていた。そんなとき実兄が「おまえは身体のことをやったらどうだ。指圧・鍼灸師になればいいじゃないか」と勧めてくれた。兄は「免許をとってから宗教家にでもなんでもなればいいんじゃないか」とも言ってくれた。この言葉で踏ん切りがつき鍼灸指圧学校に入学することにしたわけである。ちなみに母は僕がよく料理をやっていたのを知っていて、コックになることを勧めていたが、僕は治療師を目指すことにした。

前にも書いたが、その後数々の別れなどもあり、真剣に人間の生と死をとらえるようになり、好きだから宗教書を読むというようなものではなくなっていった。
手技療法は20年やっているが、ようやく白髪のまじる頭の最近になって、悟りというものがわかるようになってきたと思う。一つのことをやりつづけていると、なんというか霊妙な境地が拓かれてくるものなのだと思う。

足の操法のテキストとして大切にしたのが吉元昭治先生の『足の反射療法』である。これは専門学校在学中の当時でたので、すぐに購入した。ただし用いるグリップは採用しなかった。あくまでも東洋式にこだわった。
お陰で筋のよい『観趾法』(かんしほう)の基本技を手に入れることが出来て技を構築することができたのである。
大切なことは、その人の生命の発露を足に観ることである。そうすれば足からその人のいろんな情報が伝わってくる。あとは眼を見ることだ。眼は心の窓であり、生命力を端的に表す。鳩尾の禁点の硬結はわからずとも眼にその人の死期は出る。これは禁点の硬結の出現よりも早い時期に出る。
| kawashima1092 | 01:28 | - | - | - | - |

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