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野口晴哉『触手療法講座』:遠隔愉気法(2)
前回、野口晴哉(のぐちはるちか)が『触手療法講座』於いて、遠隔による愉気を晴哉自身が行っていると述べたことを書いた。彼によれば、普通に愉気するよりもかえって遠隔のほうが効くということである。

師匠の松本道別翁(まともとちわき、本名:松本順吉)の『霊学講座:第三巻』の治療篇では、遠隔療法のことが述べられていて参考になる。彼が勧める1つの方法は、人間の暗示性を利用した方法である。施術者のほうも観念的な輸気をするとも述べてはいるが、技法の主体はあくまでも暗示性を利用した方法である。
もう1つの方法は、神霊のご加護のもと行う方法で、完全に霊法・霊術の領域のものである。(この辺の詳しい事は僕自身の研究で一つの見解があるのだが、このブログは野中操法&整体操法がテーマなので、機会あらば述べたいと思う。)

松本は、本物の遠隔についても述べている。原文を以下にご紹介する。
『・・・自力的遠隔療法にしても、千里眼的能力があって患者並患部病源等が透視される位になれば、霊力を輸って百千里外の疾病も正確に治癒せしめることが出来よう。又観法に長じて清浄観が自由に観想される様ならば、前野式静坐法に言ふ如く之を患者に移して遠隔療法に成功することも出来よう。併しそれは尋常一様の駆出霊術家に望む訳には行かぬ。・・・』

松本自身は、遠隔治療についてはあまり信用していないとも記述している。
しかし、ここで僕があえて遠隔輸気を述べたのかというと、整体操法の根本は愉気法であり、整体を受ける側の身体に必ずしも触れることを必要としないことが愉気の本質にあるからだ。
目の前にある人に愉気し、整体操法をする、あるいは野中操法や柴田操法をやる。いずれにしても、押さえるときでも、どんな時でも必ず愉気がある。
離れていようが、目前に居ようが、触ろうが触るまいが、いつでも愉気があるのである。
だから遠隔もなにもないのである。やっていることは1つなのだ。
自分にやることを行気といい、他人にやるのを愉気という。これも同じもののことである。深く息をすること、これが全ての技法の土台である。
| kawashima1092 | 00:00 | - | - | - | - |

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