Page: 1/1   
野口晴哉述【触手療法講座を読む:坐骨神経痛の治し方】
このところ坐骨神経痛の人が多い。季節であろうか。
野口晴哉先生の【触手療法講座 十】に、坐骨神経痛に関する記述があることを思い出した。以下、参考までに、引用してみる。ちなみに本日施術した方に、輸氣でもって対応してみると、摩訶不思議に即効した。
----------------------------------------------------------------------------------
・・・坐骨神経というのは腰の三番から出て五番の骨を通って、お尻に筋肉のひこんでいる処がありますが、そこを通って足に分布しております。で、腰の三番か五番か大腿部のうち、それが坐骨神経が体の表に出ている処です。だから指で押して治す方法では大腿部を押さえますし坐骨神経痛の救急操法としてもこれを押します。二分押していると痛みが止まります。しかし輸氣の問題では後頭部がいい。耳の後のひこんでいる処、これへ輸氣していますと坐骨神経の縮んでいるのが伸びていって治ってまいります。あるいは腰を押さえてもいい。あるいは痛い処を押さえてもいい。しかしこういう急処は探す必要はない。急処は輸氣を知らないで指だけで押して治そうとする場合に選ぶが、輸氣は体の中にあるものを感応するんですから何もこっちから働きかけないでいい。脳溢血だって顔の切り傷だってこう押さえてればいい。頭の中だって胃カタルだって皮膚の火傷でもこう押さえてれば同じように治ってしまうんですから、体の中も外も区別しないでいい。だから神経痛の場合にはその痛い処を押さえてもいいし、腰椎五番を押さえてもいいし、何も場所を探す必要はない。手で感じたら押さえる。感じない処は骨の折れた処だって、そこを押さえたって治らないんです。感じるところを押さえたらいい。折れた処を感じて押さえれば治ってしまう。粉砕骨折というのは骨の折れたのでは一番難しいんです。そういう粉砕骨折でも輸氣したら治ってしまう。これは不思議なようですけれども人間の体の中にはそういう力があるとお考えになっていい。
----------------------------------------------------------------------------------
我が会も、いよいよ3年目に突入した。「石の上にも三年」というではないか。
クンダリーニ・ヨーガの著名なマスターは、1000日間で真の意味で、修行の果報が顕現すると言った。1000日間ぐらい一つのことに専心できずして何ができようか。

いま、わたしの周囲は静かだが、しかしその静けさの中に、躍動するエネルギーを感じる。
この10月わたしは奈良に行く。法の伝授を受けるためだ。側近スタッフは、アメリカニューヨークにゆく。本来ならばわたしもゆく予定だったが、奈良に行く。これも由あってのことなのだろう。

今後、どんなことがあるのだろう。何故か胸中で何かが鳴っているのを感じるのだ。 
| kawashima1092 | 21:03 | - | - | - | - |
野口晴哉述 【触手療法講座】 麻疹(1)

野口晴哉述、【触手療法講座】を読む 。
今回は、麻疹(ハシカ)について述べられた部分を載せることにする。

ハシカに対する野口先生の観察を通じて、その観察力・見立てが如何に深いか、知っていただきたいと思う。大切なことは、智恵と深い思いやりです。

野中操法にしても、このような深い洞察と技量によって、操法の急処として取り入れられました。ここに活かす道があると思います。そのような理解を持った術者が、行えばよいだけの話です。分からない人、理解できない人は、分からないというだけのことです。

以下、ハシカについての口述を記す。
--------------------------------------------------------------
五月の病気

○ハシカ
 五月に多い病気としてハシカがあります。このほか子供の伝染病は沢山ありますが、この道場の周囲では耳下腺炎とハシカがはやっています。今、自由ヶ丘から大岡山へかけて耳下腺炎とハシカが一番多い。ハシカは五月が一番多く軽く経過できるんです。四月はまだ気候の変動がありますから多少難しいが、五月になるときわめて簡単に治ってしまう。その逆に二月とか三月とかいう時は重い。まあハシカの始まりはたいてい二月です。今年は十二月から出ておりましたが普通は二月からです。そして五月頃が一番多くなり、そして八月で終る。そして七月八月が一番重い。暖かいからいいのだけれど暑いのでこんどは風を入れる。
 ハシカは風で冷やすと、特に汗をかいた体を冷やすと、すぐにひっこんじゃって、腎臓炎や肺炎のもとになる。だからハシカは風に当てないということが、昔から大事だとされていました。だいぶ前の話しですが、ハシカをジンマシンか何かだと思って、油薬をぬったら肺炎になちゃって、そして肺炎の治療ばかりして、どうしても治らない子供がいて、頼まれてみに行ったことがあります。
 ハシカにはいつでもお腹の右側(剣状突起の下右側)に塊があるんです。私達はハシカの硬結と言っておりますが、それが硬くなってるんです。
・・・
--------------------------------------------------------------

全文を連続で記しますので、乞うご期待!

野中操法と整体法の統合、この研鑽にブレはございません。
良い腹をつくる、力強い腹をつくることは、日本のあらゆる文化に通底した原理だと思います。野中操法の技と、野口整体の智恵は、日本の未来を拓く方法だと考えています。

上記ような考えに共鳴してくださる方との、ご縁(よすが)となれば幸いです。

| kawashima1092 | 10:43 | - | - | - | - |
野口晴哉述【触手療法講座:感応法】
野口晴哉述『触手療法講座』。 
今日は、感応法について述べたいと思う。この法は、野中操法の急処にも使うことが出来る。
いやかえって、そのほうが効果的な場合もある。ここ数年間の臨床で確認している。

研究会のスタッフのひとりは、第一健康線を一人で行う整圧操法を編み出している。
この方法を『独り野中』と名づけている。その方法に僕のアドバイスを加えたら、より強力になった。
以前に「健康線体操法」を創案すると宣言したので、いよいよ時期が来たと感じている。

『独り野中』の前後に「輸気」を加えると更に効果的だ。
輸気法でもよいし、感応法でもよい。
----------------------------------------------------------------------------
感応法

輸気するのにこの四月〜五月というのは、三月頃からそうなのですが、直接触るよりは放した方が良い。例えば怪我をした時に直接触るよりは離してやると簡単に治る。麦粒腫は押さえると二日も三日もかかる。もっと大きくなる。離して輸気するとすぐなくなる。これは普段の月もそうですが、三月、四月、五月特に四月、五月というのは怪我でも何でも離してやった方が良い。触手でなくて輸気専門なのです。風邪でもそうなのです。触ってしまうより離した方がよく効く。離したら何もない。何もないのに離した方がよく効く。四月は離すものというのが触手法の常識でありますが、四月〜五月には麻疹が多いのです。その他子供のいろんな伝染病が多いのです。離してやるとサッサと経過してしまう。
今月は主として感応法という離してやる事を練習してみたい。くっつけていても中へ沁み込んで行きます。だから手を当てるにしてもソーッと触る。押さないでソーッと触る。そういう気を受ける気持で心を静めていると、その沁み込んで来るのが判ります。体が硬張った処などみんな弛んで来ます。肩が凝ったと云ってせっせと体を揉んでいますが、揉んだ後は又硬張る。ところが輸気をするとそれがなくなってきてもう繰り返さない。それは輸気するとドンドン変わって来る。
----------------------------------------------------------------------------
この感応法は、古伝の輸気法そのものである。
すなわち松本道別翁が伝えた方法である。野口晴哉先生において、この法が活きていたことは、まさしく天恵と云ってよい。この一法を、見識ある読者は、地道な実践において体得なされよ。僕はそのことに期待する。野中操法を伝承実践する者は、野中操法に融合せしめよ。それを希望する。
| kawashima1092 | 00:55 | - | - | - | - |
野口晴哉述 【触手療法講座:頭部への愉気(1)】 山下式紅療法 
野中操法は主に腹部を中心とした操法で、頭部そのものの刺激というものはない。活点のなかに「脳病一切奇妙」といわれるものがあるが、それはいわゆる合谷(ごうこく)といわれるツボのことだ。

整体操法において、頭部の調律点というのは五ヵ処ある。そのなかには、山下式紅療法(やましたしきべにりょうほう)という、九州のほうの古い療術から取ってきた調律点もある。西村大観先生という『霊脈判定術』を考案した霊術家がいるけれども、その西村先生も山下紅療法の使い手であったという。

西村先生の記述には次のようなものがある。
「山下氏紅療法は、患部に紅を附けて血管作用を変化させる法なり。元禄年間、山下家中興の祖、自楽院常興(じらくいんつねおき)なる典医が、時の藩主:島津綱貴公(しまづつなよしこう)に仕え、一種の紅素を以って治療に従事したのが濫觴(はじまり)である」
山下紅療法を知る上で、貴重なる記述である。

頭部の愉気ということが、今日の記事のテーマだが、頭部愉気における着手の処というのが、頭部第二調律点付近であり、『山下式紅療法』の治療点でもあったのである。

次回より、頭部の愉気について野口晴哉先生が述べられているところのもの
を掲載しようと思う。これもまた『触手療法講座』の白眉なるものの一つであろう。
| kawashima1092 | 00:00 | - | - | - | - |
野口晴哉述 【触手療法講座】を読む 掌心発現を使う愉気法(1)
野口晴哉述【触手療法講座】読む=掌心発現を使う愉気法=である。
以前、掌心発現について書いたことがある。野口晴哉著『健康の自然法』から引用したものである。以下に再度引用しよう。
同書P45〜46よりの引用だ。

---------------------------------------------------------------
    掌心発現について

掌心感応の生ずるところに愉気をする。之が何よりのやり方だ。しかし体は広い。掌は狭い。掌心感応の生ずるところを探さねばならない。ところが愉気をしていると相手の指に感応的な動きが生ずる。その部に感応しているといえる。相手の指の現われる感応的動きで掌心感応の生じ易い部分を求める。之を掌心発現という。
  
   拇指ーーー四肢
   食指ーーー腹部
左  中指ーーー頭部
   薬指ーーー胸部
   小指ーーー腰部

   拇指ーーー脊髄神経系
   食指ーーー太陽神経叢 交感神経系
右  中指ーーー中枢神経系
   薬指ーーー副交感神経系
   小指ーーー骨盤神経叢

掌心発現によって触手療法を行なうことがパパの体験ではもっとも効果がある。理由はパパにも判らない。ただ触手療法を行ない乍ら、人間のどんな細かな動きも見逃さないようにして来た四十年間の智慧だ。
---------------------------------------------------------------

今回のシリーズは、野口晴哉述【触手療法講座】から掌心発現したならば、その次にどうするのか?ということに対する野口晴哉先生の説明だ。

これは整体を学んでいく上で裨益するところ大のものである。本来ならばこういうのは飯の種として秘匿するのであろうが、僕としては、一人でも多くの方々が野口晴哉先生や残された整体操法あるいは野中操法等その他の操法に関心を持ってもらいたいのである。学びたくてもあまりに情報が無さ過ぎる。人間何かを学ぶには、きっかけやチャンスが必要だ。かつて僕も縁が無く、整体操法を学ぶことさえできなかった。情報もなかった。こうして書いておけば、誰かが眼に留め、活かすかもしれないし、興味を持つかもしれない。

文献は確かに文献でしかない。しかし文字というものは、耳学問とは別の意味で重要だ。伝書というではないか。資料を公開し、それを媒介にして整体に大いに興味を持ってもらう。同志を集める。そのことに何の異義があろうか。本来技術を体得した者がやるべきなのに、そういうことはしない。職人的な人物が多いからかもしれない。

僕は「天を相手とし、同志の志を相手にする」。

その信念にいささかもグラつきはない。操法をもって世の中を利益してゆく同志を増やしてゆきたい。野中操法を世に残し、整体操法その他を導入する。野中操法の急処は「健康線」だ。ここに全ての身体の不調は現れる。そこを整圧することで身体は整う。これは間違いない事実である。このことは実践して健康線を触れている者にしか分らないことだ。野口晴哉先生は野中操法正統継承者:故吉田先生に「技術的にすごい先生が一人だけいる」「技術的に百年に一人の天才」と言って、野中豪策先生を紹介した。野中操法を認めていたのである。この秘伝が復活し公開されている。多くの人が誠をもって我が研究会に来られることを望む。道は開かれているのである。

この野中操法に愉気法を導入する。これが僕の言う『幻の整体操法』の骨子となる。また腹部操法を取り入れる。とにかく愉気法はとても大切な技法だ。整体操法の真ん中の技術といってよい。操法のはじめには背骨に気を通す。そして背骨を観察する。必ず愉気がある。だから野中操法研究会では愉気もおこなう。ゆえに【触手療法講座】を読むのである。

次回より野口晴哉先生の説くところを聞こうではないか。
愉気法の幅が大きく広がること驚きを禁じえないであろう。  
| kawashima1092 | 00:00 | - | - | - | - |
野口晴哉述【気合から愉気へ】谷響き惜しまず明星来影す
さて野口晴哉【触手療法講座】である。その中の一節に『気合から輸気へ』と題したものがある。気合法をわがものとする決意をしている諸兄は、熟読されたい。以下引用する。

----------------------------------------------------------------
気合から輸気へ

私はその時分輸気をして気合をかけておりました。手を押さえてそこへ心を集めておいて気合をかけておりました。だから近所の人は気合の先生だと言っておりました。ある人は僕のことを交番で聞いたら、あの気合術の先生かと云って場所を教えてくれたと、気合術の先生というのは相当有名で、浅草の方でもその交番で聞いたのにちゃんと教えてくれたということなのですが、気合をかけている。その気合がだんだんだんだん黙ってフッと集注するようになって輸気というものに変っていった。静かにこうやって行くのが私の輸気の流儀でなくて、一瞬フッと自分の全部の気をパッとぶつけていく、それが私の輸気の仕方なのです。その為に気合の練習をして、みんな山の中に行って、滝の前で行をして気合などをかけますと他だとこだましても滝の前だとこだましない。こだまするまではその気合ができていないというのでセッセッとやりました。そんなようにして一生懸命教えましたが、この様に教えていって、一生に何人教えれるだろうかと思った。・・・・
----------------------------------------------------------------

滝の前で気合法の訓練をする。
こだまするということが大切で、本当に気の入った声でないと声が落ちてしまう。反響しないわけである。僕の経験によれば、声質とも関係がある。つまり比較的低い声になると反響するのだ。下腹に力がかからないと、滝の前で反響するような声はでない。
気合ということではなく、滝行のなかでも同じことが言える。
滝の中に入り、真言や秘呪を唱えるが、このときにも反響を利用する。その滝にピタリとあう『振動数』があるのだ。その振動数を反響させながら滝の修行をする。行のあとで、瞑想黙想するとなんともいえない、その振動数を味わうことになる。僕はこのような滝の修行を随分行った。
野口晴哉先生は【触手療法講座】で、滝の前の『こだま』について言及している。このことは一行者として僕の共鳴するところである。
日本密教の開祖とでもいうべき、弘法大師空海上人という方は、その著書「三教指帰」のなかで、法の成就のときを捉えて次のように表現している。
『谷響き惜しまず 明星来影す』と。
おそらくは野口晴哉先生もこの境地を体現していたに違いない。これは僕の憧れの思いでもある。
| kawashima1092 | 10:55 | - | - | - | - |
野口晴哉述【触手療法講座】を読む(1) 潜在意識の方向指導
久々の記述である。このところ野口晴哉直伝の気合法修練会について、また野中操法講習会について熱心な方々からお問い合わせがきている。僕の書いた拙い記事を読んでくれている方達がいる。なんとありがたいことであろうか。一人一流派を標榜し、野中操法と整体操法そのものとの統合を果たし、現代の状況にあわせたところの操法を創生し提供してゆく。僕は無数の操法家が出現することを望む。自分がまず豊かになること。皆が操法によってそれをめざしてほしいと思う。
僕のところには

『豊かな心とは、無い時は無い様に生きることを楽しみ、
 有る時は有る様に楽しんで、それにこだわらず、 
 いつも生々溌剌とした気分で一日を暮らせることだ。 』
                    (野口晴哉著「風声明語」より)

と墨書した掛け軸が飾ってある。もちろん僕が書いたものだ。この言葉を根拠に、我が処を『楽豊堂』と名づけたのである。いつでも楽しく豊かに在る。それは天心であることであり、腹に気力を充実させることで実現する。具体的方法としては気合法・深息法だというのが僕の主張するところだ。だが操法や治療をしてゆくということについて、忘れてはならないことがある。それは野口晴哉の潜在意識教育である。彼は潜在意識の方向指導ということを説いた。以下、野口晴哉述【触手療法講座】より引用しよう。熱心な方々の資になればと思う。

-----------------------------------------------------------
潜在意識の方向指導

私はたびたびいじるということは、看病人の不安の為だと、手遅れを乱発するのは技術の下手な為だと、自分への言いわけだと、受ける人の言いわけだと。そうして病人自身は人に治してもらうものと寄りかかっている。立っていることは立っても、自分で立つ気がなければ立てない。足があったって、大便することだって自分できばらなければでない。もっともきばりさえすればでると思って朝から一生懸命きばったってそうはでてこない。でたくなってでる。体の欲求にそって初めてそういう気が体の動きに力になってゆく。だから必要なことは体の中の回復欲求をひき出すことだと。それにそって動作することが大事です。どんなに難しそうにみえるものでも怯えないでそうしていけばみんな処理がつく。私は病気を治すようになっている時代にそういうように考えました。看病に手を尽くすなんていうのは看護人の自分の満足の為で、自分の不安の為です。余病なんていうのは自分の技術のない為です。いや自分をごまかす為だと、言い切るのはそういう経験を持って、そういう問題で深く悩んできたからであります。
病気になってから病気を治すというようなことを計画することは間違っている。病気になって、病気の名前がつくようになって初めて治療法ができるという生き方では駄目だと。病気になる前に治すことを考えなければならない。病気にならないように体力を発揮して生活することを考えなければならない。みんな衛生という言葉で怯えてしまって、働かないように、栄養を余分に食うように避暑避寒するようにというように弱い病人用の衛生をそのまま健康になってもやろうとする。そうしてその体力を発揮しないような萎縮させるような、守ったり庇ったりすることだけを衛生法だと思い、環境を改革することだけを、つまり多勢の為にやる衛生。環境を改革する為のだけを衛生法だと思って個人個人の体力を発揮するという面が完全に忘れられてしまっている。そういうような衛生方法を守らなければ不安になるというようになったのでは、もう全部の人が病人、受験生のようなもので、そういう気持ちで生きていたらば、体力を発揮できない。もっと人間が生き生き発揮されるものだと、そう思いましてそして私は衛生生活の改革の方が大事であり、病気を治すことよりは病気にならない、いや一日の生活を体力を発揮するように生活するにはどうしたらいいかということを組み立てる方が大事であり、そういう心構えを作り出す一番の基の潜在意識の方向指導が一番根本的な問題だと、そう思いまして病気治療ということから体育という面に方向を変えたのであります。それはもう一人でいくら気張ったって、治すとかよくするとかいう人達の数はたかがしれている。もっと人間の教育の面にそっていくらでももっと自分の生きているうちに多勢の人が丈夫な生活をする道が、本当に見つかって、それが一つ一つ開かれてゆけば、それは健康に生きるということに貢献するわけであります。
-----------------------------------------------------------

次回も同資料から引用してみたいと思う。
野口昭子著『朴歯の下駄』においてこう記されている。
『・・・やがて催眠術を捨てた先生は、今度は、人間を催眠状態にしないで、さりげない対話の中で、潜在意識教育による個人指導の方法を考え出すのである。・・・』と。
では、何処に着手の処があるのか?
それは礼からはじまるのである。
だから整体操法における礼は形式ではないのである。
潜在意識教育、潜在意識の方向指導のはじめに生命に対する礼がある。
操法家、真の治療家はこのことを肝に銘じておくがよかろう。
| kawashima1092 | 23:21 | - | - | - | - |

Calendar

1234567
891011121314
15161718192021
22232425262728
293031    
<< October 2017 >>

Profile

Recommend

Recommend

Recommend

Recommend

Recommend

Recommend

Search

Entry

Archives

Category

Link

Feed

Others

無料ブログ作成サービス JUGEM

Mobile

qrcode