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謹賀新年 整体の原点回帰【整体療術としての道】
あけましておめでとうございます!


(手箱神山;山頂神社にて)

壬辰歳のはじまりです。

昨年は、整体・療術の方面の記述は、あまりしませんでした。もっぱら霊学・霊術の方面について報告していました。

昨年、日本は未曽有の大災厄によって多くの人的物的被害を受けてしまいました。未来において、日本を語るときに、ここが変化の点であったということになると思います。

物には、盛衰あり、真の豊かさとは、有る時にはありがたく使い、無い時には無いなりに使う、そういうことであると思います。

変化するということは、必ず捨てなければならないものがあります。自ら捨てるうちはいいのですが、強制的に大切なものまで奪われる大変化があります。戦争や大災害はそういうものです。

今年は日本の未来を決めてゆく、一番初めの年になります。その年が、辰年であることは、激しさを表していると言えましょう。

整体は本来、様々な療術のチャンポンです。野口先生という天才的な人により、まとめられたものに過ぎません。本当の意味での野口整体をやれるところは、整体協会のみでしょうね。

わたしは、整体の創成期に瞠目しています。療術としての整体法です。そういう意味では、井本先生の整体は、あり方として正しい。

わたしは本年、整体革命を唱える。霊術を包含したところの療術です。

『真観法を取り入れたところの整体療術をめざし、わたしは精進してゆこうと思う。 
| kawashima1092 | 00:00 | - | - | - | - |
祝【幻の整体操法】おかげさまで2周年!

祝!ブログ『幻の整体操法』も、おかげさまで2周年を迎えました。

ひとえに皆々様のお蔭でございます。日頃のお引き立てに感謝申し上げます。

このところ整体・療術関係の記述が、あまり進んでいない。野中操法のほうも広告がなされていないし、研究会の進展もない。たしかに・・・。

ですが、毎月1度は、手技療法&霊学講座を開催しております。

はじめの1年は、どのような方々来るのかを見ました。次の1年は、本当にご縁のある真面目な方々を見極めました。

その結果、野中操法のほうで2名の師範代、霊術のほうで滝行先達1名が認定されました。これはサニワした結果です。

先月19日〜20日、自然智之会(しぜんちのかい、旧野中操法研究会)の主催で、秘伝合宿を執り行いました。20名以上が参集し、修行し、学ぶことができた。これは一つの集大成だと、僕は考えている。

ブログ開始から2年。いろいろなことがあり、出会いがあり、別れがあった。人生と同じで、そういうものなのであろう。生きている限り、青空は続いているし、自分がどう思っているのかが、最も大切だと信じているので、幸多かれと祈るだけだ。

今後も野中操法、整体、療術関係の研究とブログの記述はしてゆくつもりです。

お話しする材料は、あるのだけれども、マニアみたいな人とか、口先だけの自由さを標榜する人とか、ずうずうしい人ばかり来るので、書き控えている側面は、正直あります。

しかし、真面目に取り組む真の同志は大歓迎。現在、当方に来られている方々は、真面目な方々ばかりです。マニア的などうでもよい人は居りません。そのことが2年間の一番の成果であり、祝うべきことだと思っております。
| kawashima1092 | 22:38 | - | - | - | - |
ウーム大丈夫 【天と感応道交す】
 本日は【体癖講座】である。第二回目だ。来月にも第三回を予定している。次の講座では、音響を用いた、整体操法の訓練を行う予定である。

今日の講座では、体癖の相性を論ずる。これは大変役に立つし、興味深い。講師の柳沢先生は実力がおありなので、幾らでも引き出しがある。

本日は、体癖ごとの整体体操を解説する。これも独特のものになるであろう。

午前中は、僕の操法研究会だ。もちろん野中操法も研鑽する。近いうちに野中操法研究会の新たなる活動要旨について述べるつもりである。

そう、ごく最近我が会の弟子から嬉しい報告があった。野中操法の真の系譜の上に我が会があるという現証を示す出来事があった。こういう弟子が現れたことについて、僕は心底、嬉しく思っている。僕はつまらない事は気にしないで、天を相手にしてやってきた。その天は答えを出してくれた。

霊法の面でも、野中操法の面でも、天は応えてくれた。即ち感応道交(かんのうどうきょう)したのである。何があろうとも、すべて天からの賜り物。ありがたく糧とさせていただく。今の僕の心境は、ウーム大丈夫!これに尽きる。
| kawashima1092 | 00:55 | - | - | - | - |
整体に通じる御持て成しの心
4月4日(日曜)、 洗足池公園の桜山でお花見をしました。急遽、比較的近くの方々をお誘いし、(お誘いしたのが前日のPM9時頃だったので)、8名ほどでお花見しました。

なんだか遠足に行く子供みたいに、僕は朝5時に場所取りにゆきました。前夜、雨が突然降ったので、空席があった。首尾よく良い席を確保し、10名ぐらいは座れるようにしました。宴会の開始時間はAM10時で、ボツボツお花見メンバーがやってきた。

お昼頃に、もてなしの達人というべき2人が来場した。桜山は、少し冷えてきていたので、お燗があると最高だった。僕もそんなことを予測して、レンジでお酒を温めて持参していた。けれども、慌てていたせいか、いまひとつのお燗だった。いや、ナマぬる燗になっていた。

件の二人は、小道具を持参していた。錫製の徳利、御猪口、暖める器具・・・。
お酒もお燗に合う逸品だった。

しかし、あんな美味い酒は、初めてだった。

桜満開の気、同席メンバー、もてなし、そしてあのお酒(道具も含めて)、お酌の間合い、そのすべてが渾然一体となって、僕の肩にあるものを解いてくれた。飲めば飲むほどに、和らぎ解放される。

まったく不思議で気持ちが良かった。えも云われえぬ境地。これは味わったことがない。これこそが茶道や整体の嗜みに通じるものなのではないか。

偉そうに整体の先生ヅラして、生意気を言うのが整体ではあるまい。人と相対して、心をほぐし、それを通じて体をもほぐす。これが整体に於ける、お持て成しというものではないか。単にやり方だけを知り、知識がある。若輩の自らが「自己完結した」などというのは、真の整体者ではないと断言する。

おもしろいもので、そういう類の者が僕の体癖を何々という時、大抵が間違っている。知己を得ている柳澤先生だけが、僕の体癖を見抜いた。

嗜みと慎みがあるから見抜けたのであろう。

お花見のお持て成しに真の持て成しを見た。
肩に乗ったしこりを解いてくれた。感謝、ただ感謝!

そこで一句
    『持て成しは なにほどくらむ 我がこころ 結べるしこり とき解く也』

| kawashima1092 | 00:00 | - | - | - | - |
今後の【幻の整体操法】ブログに関して
JUGEMテーマ:健康
 この【幻の整体操法】ブログも発信し始めてから早1年6ヶ月となりました。すでに多くの方々とご縁ができ、盟友ともいえる方々とも出会いました。今後もこのブログは書き続けて行くつもりですが、いくつかの点で検討しなければならないと考えております。

一つは、僕の方向性の幅が整体療術に止まらなくなったという点です。タイトルが【幻の整体操法】なのに、霊学・霊術の方面をテーマとして記述することが多いということです。このことは、僕の本来の姿というか、本性がその系統の人間なので、当然の如しなのですが、変化に面食らわれている方々も居ると思います。自分の中では整合性があり、何も矛盾はないのですが、ついてこれない点もあろうかと考えているわけです。

いま一つは、情報ということです。このことは河野先生や生徒さんと親しく交わって考えたことです。
有力な情報や技術・技法を出すことは大切ですが、そこには一定のルール作法がなければいけないということです。いままで僕は一人一流派ということを唱えてきていました。そのことは今までと変わりありませんが、生徒が先生にタメ口を聞いて、ゴチャゴチャいろんなことを友達口調で聞くようなことでは、ものは伝わらないと考えました。河野先生のグループでは、皆さん大変謙虚で熱心です。そのことを目の当たりにして考えを改めました。

非常に濃厚な有力な情報は、会員あてのニューズレターのようなものを月に何度か配信してゆくようなことを考えております。ブログのほうは、まあまあの内容を適宜書こうかと思っています。
| kawashima1092 | 00:05 | - | - | - | - |
運命転換(1) 【縁起の法】
大晦日から元旦にかけての滝行気合法の中で「縁起を変えよ」という言葉が脳裏に浮かんだ。縁起の法とは、仏教の開祖:仏陀釈迦牟尼が六年間の苦行の後に悟りを開いたその内容のことである。すべての仏教に、この縁起の法が包含されており、さればこそ凡夫が仏に成れる理合があるのである。

滝行気合の中でも般若心経を読経する。般若心経は「空」を説く。要するにすべては縁により一つの結果が出てくるということなのだ。縁が無ければ果報はない。例えばここに一つの種がある。これを発芽させ育てるには、適当な養分、水分、温度その他の環境が必要だ。種があってもそれだけでは花を開き実が実ることは無い。環境などの縁が無ければ成り立たない。「内に因あれば外にこれを助ける縁あり」とは因果経の文句だが、縁を「助縁」と言うのである。

「空」というのは有るでもない、無いでもないということであり、事物事象には永遠に固定したものはないということである。くだんの「縁起を変えよ」とは「運命を変えよ」ということだと思う。

では、なぜ人間はさまざまな縁を持つのであろう。つまりは縁を呼ぶ因子を持つのかということになる。「太上感応経」という秘経には、不徳を積む事3年にして必ず報いありと説いている。逆に徳を積んだら、良い果報が3年にしてあるということである。

とどのつまりは、縁を変え、運命を転換することは、積徳に尽きるのだ。不徳という因子を積徳により消すということだ。しかし、どのように積徳による縁起転換を行うのか、ここが問題だ。厳しい世相であるからこそ、このことを説くことにしたい。日本人は生き方を考えなければならない時に来ていると僕は思うのだ。

整体も操法も、霊学もその上でのことだ。不徳な人間は何をやってもうまくゆかない。積徳の原理を腹に入れて、その上で気合を入れようではないか。
| kawashima1092 | 23:38 | - | - | - | - |
五島哲さん3周忌 【先生との思い出】
今日は東急グループの創始者五島慶太氏のお孫さんである五島哲さんの三回忌(命日)である。五島さんは、東急の二代目大社長である五島昇さんのご長男であった。
在りし日の五島哲氏
 (ありし日の五島哲さん)
僕はこの方と或る治療院に勤めているときにご縁をいただいた。そのときのことを今でもよく憶えている。このことについては述べたことがあるかもしれないが、再度記したいと思う。

五島さんのお住まいは、世田谷区上野毛の五島美術館の指呼に位置する場所だ。したがって野口晴哉先生のおられた整体協会とはご近所だ。実際、今から37年前後だが、五島さんは野口先生の整体操法を受けている。整体協会に入会したわけではないが、立場上特別に受けたという。

腰痛で悩んでいて数回施術してもらったという。活元会にも出たが、奇妙なものだというのは正直な感想だったようだ。五島さんは、僕が野口晴哉先生のことばかり話すので、いつしか「君の執念はすごいなぁ」と言うようになっていた。またその周辺のことについても随分お話した。

五島さんとの出会いで一番初めに話したことは、彼の祖父五島慶太氏の逸話だった。東急電鉄の最初の事業であった今は無き目蒲線の話だ。五島慶太氏は苦労して目蒲線開通までこぎつけたが、開通式が奇しくも大正12年9月1日正午。丁度、開通式をやろうとしたら関東大震災が発生し、事業は振り出しどころか目処が立たなくなった。

僕はこの話を心の糧にしていた時があった。五島氏は、その後宮城(皇居)にゆき植え込みの松の木が「首を括れ」と言っているように聞こえたと述懐している。この逸話と御祖父のがんばりに心を支えられましたと、お孫さんである哲さんに話したのだった。

因縁とか奇縁というものがあるとすれば、こういうことを言うのであろうか。実に不思議ではないか。

僕が独立してからも五島さんは週1度は来院していただいた。彼は当時東急建設の社長であり、社会的立場のある方だったが、裏長屋の僕の治療所に通って下さった。僕は野口晴哉先生を尊敬しつつも、実際の技法を体感できずにいた。ごく幼少のときに親戚が整体協会に連れて行ったというが、憶えていることはあまりない。その人もとっくに亡くなっているので詳しいことはわからない。なぜかご縁がなかったのだ。しかし五島さんの腰には、野口先生の操法の痕跡(手形)が亡くなる2週間前まではあったことを断言できる。

詳らかに言えば、左側の腰椎第2番の3側付近である。ここにある種の操法の支える痕跡(手形)が残っていたのだ。僕において野口先生との接点は、これが唯一のものだった。どのような方だったのか、五島さんから随分聞いた。

五島さんが亡くなる年に、ご父君の昇さんと親しく、さらに哲さんの一番の理解者であった城山三郎さんが亡くなった。このときの哲さんの体の変化はすごかった。精神的なショックがこうも身体に反映するのかと思った。その後数ヶ月して、彼は癌になった。しかし手術は大成功だった。亡くなる一週間前、例の腰の痕跡(手形)が無くなっていた。帰りにお話したときにも、まるで死者と話しているようだった。その眼光の中にある種の死期を視た。人は死ぬ4日前に鳩尾の禁点に硬結が出るという。しかしその以前から体全体でそのような気を発し、兆候を示しているのだと思う。

亡くなったことを知りすぐにご自宅へお伺いした。先生の亡骸に向かってであるが、僕は今までお世話になったことなどのお礼を申し上げた。当然のことながら、その後僕なりにご供養させていただいた。死後10日目に夢中に出現し、お話をした。僕は、すでに先生はお亡くなりになっていることを諭した。

僕は五島さんのことを、社長とか、五島さんとは呼ばなかった。先生と呼んだ。僕にとっては色々なことを教えてくれる先生だったのだ。野口晴哉師を我が指に感じさせてくれる唯一の人だった。

ご命日である今日、九品仏(くほんぶつ)の菩提所にゆき読経供養した。この一年間のご報告をした。現在、僕は野中操法研究会を通じてたくさんの仲間ができ、御岳山までゆき滝行気合までするようになった。生きておられたら、喜んで下さったと思う。いつか本を書き上げたら、中に一文添えていただくことになっていた。それはついに叶わなかった。来年、僕の書いた本が出版されることになろう。僕は魂をこめて書く。その本を先生の墓前にささげよう。全力で生き切ることがお世話になった方々へのご恩返しだと思っている。
| kawashima1092 | 21:37 | - | - | - | - |
今年の一文字 【瀧】
川島金山の今年の一文字

さて明日は正月事始め・すす払いですね。今年も残りわずかです。昨年も述べましたが、冬至には【年筮(ねんぜい)】を行います。七夕祭と共に何かを開始するなどの節目には良い日です。

一陽来復といい、この日から日照時間が長くなってゆきます。ものの成長する気が発動してゆくわけです。一年の傾向を占うには良い日であり、確かに一年の傾向が易の卦をもって示されます。このことは経験上断言できます。

22日には、研究会でもって年筮をやります。ご自分でやってもよいでしょう。易の神に祈ってみてください。我々は霊学をやってますから、クシマチノ神がよいでしょう。この神は武州御岳神社のご祭神です。

今年の漢字一文字ですが、恒例の清水寺選出では【新】だったようです。新政権・新記録・新型インフルエンザ・新制度…。確かにそうでしょうね。

しかし僕の場合は【瀧】の一字ですね。水の行によって「換骨脱胎」して龍と化す。そういう一年でした。滝の団体修行は明日も27日も行われます。

みなさん夢を大きく描いてください。僕もすでに40代半ば。でも大倉喜八郎氏が言ったという言葉を時折思い出す。それはこういう洒落です。『四十五十は鼻たれ小僧、男盛りは八っ九十』。

大先輩から見れば、まだまだ僕は鼻たれ小僧です。気合をこめて、ウーム大丈夫!さあ、元気出してゆきましょう!
| kawashima1092 | 12:47 | - | - | - | - |
六本木鼎談 【技術は常に進歩する】 滝行の友 
タバコが引き起こすさまざまな病気
(タバコが引き起こすさまざまな病気)

現在、宮本紘吉著「新正体法」「続 新正体法」の復刻が盟友である橋本馨先生によって進められている。野中操法を研究しておられる諸兄におかれましても購入してご一読されることをお勧めします。また同時に正体術の復刻普及の第一人者である神崎先生の講座に参加されることもお勧めします。

昨日お二方と僕とで、六本木にて鼎談をし、或る施術法の講習をしていただきました。やはり技術というものは常に進歩しているのだと感じました。

整体操法では是く言うとか、野口整体ではこうだとか言っても、時代は常に前進している。治療術として効果がないのに、整体操法が治療術としても優れていると主張するのはいかがなものか?酢だのコンニャクだのといっても、野口先生が治療術として施術していたのは大昔のことだ。

ちなみに野口整体では、タバコを禁止しない。むしろ若い会員などは慣れない手つきで喫煙している。僕は愛煙家を多く知っているので、喫煙するときの、その手つきや表情で如何に味わっているかがよく分かる。しかし野口整体をやっているという若い連中の喫煙時の所作の、ぎこちないこと、ぎこちないこと。全然、様になっていない。

昨日、或る人からタバコの害について書いたものをもらった。これを読んでみると喫煙というのは百害あって一利無しのようである。整体的な理由だといって喫煙するのはご勝手だが、周囲に少なからずの迷惑を及ぼしているのであれば、野口整体的な屁理屈は通らないのではないか?

大体、整体指導であれ指圧であれ、カイロであれ鍼灸であれ、他人様に施術をする者が、タバコ臭くてどうなのか?皆さんはどう思われますか?野口先生がタバコを吸っていようが、野口整体ではこういう理屈・理由があると言おうが、そんなことは、僕には通用しないし、世間でも通用しないであろう。良くないものは良くないのだ。

分かりやすい例でもって柔軟性の大切なことを示した。頑固一徹と柔軟さ、ものごとを発展させ定着させてゆくには、この2つが大切ではないか?僕はそんなふうに思う。野口整体に於ける喫煙の例は、その一例に過ぎない。

それから大分寒さが増してきました。滝行をやる方も心身の管理がより大切な時期となってきました。僕は『遠赤美人』というレンジで温めることが出来る『あんか』を滝行が終わった後、自宅で活用している。また、施術の際にも活用して重宝している。野中操法において第一健康線を温めることなどにも使うと良いでしょう。蒸しタオル法の代用としてもよい。これはお勧めです。2個セットで6300円(税込み)。滝行の友です(笑)

しばらくしましたら来年度のスケジュールも発表します。
| kawashima1092 | 19:17 | - | - | - | - |
幻のインドラーメンの巻 【人々の腰と腹を見て想う】
インドラーメン
          (幻のインドラーメン)

先日、用事があって新宿に行った。久しぶりのような感じがする。ついでなので、中本という「うまから」のラーメン屋に行くことにした。場所は小瀧橋通りだ。以前にも何回か行ったことがある。目黒店などはしょっちゅう通った。中本との出会いは15年前に遡る。

昔、僕は板橋に住んでいた。光が丘公園という大きな公園があり、この公園が気に入ったので近くに居た。上板橋というところに中本の本店がある。いまは二代目の方が社長で経営しているが、当時はここ一軒だけであり、初代の店主が自ら調理していた。

この店にはメニューにないものがあった。それが「インドラーメン」である。詳しいことは「週末はカレー日和」(小野員裕著)に書いてある。この書の記述の通りだ。相当通わないと食わせてもらえない「まかない食」みたいなものなのだ。

しかし、それは相当美味い。中本の小瀧橋通り店でインドラーメンが定番となったというから、いつか行きたいと思っていた。ようやく念願が叶い行ったわけだ。

実のところガッカリした。何かが違うのだ。僕はこのラーメンを「幻のインドラーメン」と呼んできた。今回のことでまさしく「幻」になってしまったと思っている。

この日、新宿を少し歩いた。目に付いたのが人々の腰と腹の不安定さだ。腹と腰が落ち着いている人は、ほとんどいなかった。不景気になるとこんなものなのか?日本人の腰と腹の強さはどこへ行ってしまったのだろう。

日本人は何かを失ってしまったように見える。僕は日本人の根源的な力は『型の文化』だと思っている。すべてに型があり、型によって伝え、技術を練り上げてゆく。そういう目で見ると、どんなことでも型をつくっている。最近の日本人はアメリカナイズされて『型』を見失ったように見えるのだ。その結果、腰や腹に力が無いように感じられるのだと思う。かつての日本人の多くが、礼儀正しかったのも泰然自若としていたのも腰と腹力によるのだと思う。

インドラーメンのことよりも、そのことのほうがショックで、以来そのことを考え続けている。腹と腰の安定・強化の啓蒙運動は、野中操法研究会・滝行気合の会に課せられたものだと、僕は考えている。こっちの方は「幻」にならないように力を尽くしてゆくつもりである。

週末はカレー日和
  (「週末はカレー日和」)
| kawashima1092 | 00:00 | - | - | - | - |

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