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気の亢まり【七夕操法会】
7月7日は、恒例の 七夕操法会ならびに七夕の願掛けでした。
今年は、さらに七夕の易筮を加味しました。

七夕操法会は、野中操法による整腹が主体でした。これは野口晴哉先生の編み出された整体操法でもそうですが、野中操法の整圧・抜圧は腹の真ん中をよく整えるのです。殊に、丹田の部分の充実と安定には定評がある。腹部の偏りを整えて、体の真ん中に、気を集めやすくするのです。

野口整体を学んでいる方や心得のある方が、之を学びますと単なる野中操法ではなく様々な応用が出来るのです。先人たちも、そのように技術を取り入れましたが、野中操法の原型を知らないが故に、腹部を整えるこの技術を等閑に捨て置くの事態になっておるのが現状です。

今日は、七夕の祈願・願掛けもあることですから、そこのところをテーマに操法会を行いました。また、深息法、無音の整腹気合法などの応用もやり、輸気の特殊誘導を行いました。通常の誘導と違うものだったことは、お受けになった皆さんはお分かりだと思います。古伝では、あれに近い型が存在していました。まあ、その復活でもあったわけです。

七夕の易筮は、変爻を大切にしていただきたいと思います。易は、単なる占いというよりも、活きた哲学、生きるための指標です。東洋の智恵です。

大切なことは、腹を真っ白く空っぽにして、明るく居ることです。白隠禅師というお方は腹に阿頼耶識の煩悩、暗闇があるんじゃと、言われています。それは無明であり、迷いの大本です。操法により、腹を整えて、野中豪策大先生のいう「人間は玉でごわす」にするのです。野口先生の言われるように、深く息を整えるのです。「人間の心は無限」と、野口師は言われたが、整腹と深息がなされていたら、願ごうて叶わざることは何一つないであろう。

今年の七夕祭も楽しかった。来年はさらに大きな輪になることを、僕は七夕に祈ったのである。参加者の皆さん、来てくれてありがとう!

七夕祭
| kawashima1092 | 01:13 | - | - | - | - |
歳時記(4) 【歳神の深秘】
正月七日までを松の内という。松とは待ちであり、町の語源でもある。何を待つのかというと神を待つのである。神は門松に向かってくるという。町というのも神の御力が降りているから斯く言うのであって、神なくして町というのはあり得ないのである。であるから、産土(うぶすな)の神を担いで町を練り歩くのである。いわゆる御神輿だ。

正月にはどのような神が来るのであろうか。それは「歳神」である。以前に書いたことがあるけれども、僕は四半世紀前に神人;小泉太志命(こいずみふとしのみこと)に会った。そのときに言われたのが、大年神(おおとしのかみ)という神様に、僕はご縁があるということだった。

以来、お正月・年災除というものを特別に考えてきた。大年神は、その年の災除の祈念の時に念ずる神だからである。松の内に関与しているのは、この神なのである。

松の内には、神折りを行う。神折りとは神降りでもある。七日間、特別に謹製した霊物を斎祭る(いつきまつる)のである。これもこの15年来欠かしたことがない。この祭祀には、橘の実(たちばなのみ)が必要である。これによって歳神が天降り(あおり)されるのである。

あと7日には、七草粥を必ずいただく。これも欠かさない。

橘の樹と実
       (橘の樹木と果実)
| kawashima1092 | 22:14 | - | - | - | - |
歳時記(3) 【寒川神社参詣す】
 相模の国一ノ宮 寒川神社
      (相模の国一ノ宮 寒川神社)

毎年のことだが正月三が日には、相模の国一の宮である寒川神社に必ずゆく。今年は4日に参詣した。この神社は相模国すなわち現在の神奈川県の一の宮である。

寒川神社の御祭神は、寒川彦命(さむかわひこのみこと)と寒川姫命である。しかし、この御神名は古事記や日本書紀には出ていない。普通一の宮であるならば、そういうことはない。これは不思議の一つなのである。

延喜式と言って、祝詞の形式などが制定された時期があった。今から千年数百年以上前のことだ。この時に各国の一の宮も制定された。相模の国の寒川社は理屈抜きに神験があらたかだったのであろう。

実はこの社の御神体というのが、特別なものだという。或る元宮司の先生のお話では、龍の巨大な椎骨だという。おそらく神奈川という地名の古い由来には、このことが関係しているのだと僕は考えている。

この神社の効験は、八方除けだという。年月日時・方位などをおかしている時に良いという。確かにそうだと思う。何か厄を感じるとか開運を願う時には参拝されるとよい。その時にはご一報を。拝み方をお教えします。
| kawashima1092 | 21:38 | - | - | - | - |
正月の歳時記(1) 【産土社に詣でる】
正月には初詣、初夢、書初めなどの行事がある。僕は必ず「神折り」を奉祀して元旦を迎える。この法は元旦から松の内までお祭りするものである。また初夢は必ず見て指針とする。初夢は鎮魂の一種なのである。

霊学を志す御仁は、必ず「産土神(うぶすなのかみ」に詣でなければならない。自分の生まれた土地の産土、今住居している所の産土、それぞれ大切にしなければいけない。

僕が密教を支持するのは、産土の概念が法の中に盛り込まれているからである。これがなければ修行することもなかった。神分祈願(じんぶんきがん)といって、各法の次第書(しだいしょ)に必ず導入されている。

霊学中興の祖である本田親徳大人(ほんだちかあつうし)は、産土の徳を詳しく説いている。日本では御神名といって、お名前が明かされている。御神名には、ご神徳が表現されている。これは大変なことなのである。しかし外国には産土というものはなく、名すら分からず、祭祀もできない。人の霊魂は、生まれ出るときにも、現世で生きているときにも、死後も産土によって司掌されているのである。したがって人に営みは、すべて産土と関わりがあるのである。このことは肝に銘じておいてほしい。

先の本田大人の著作に「産土百首」がある。さらに「霊魂百首」というものもある。鎮魂帰神の法術を志す者は、これらの霊典を熟読玩味せねばならない。だが、何よりもまず、至心に詣でることだ。そこから鎮魂の道は開示されるのである。以下に、本田大人の「産土百首」から弐首を掲げよう。

◎産土の神の惠を知る人は、人の神なる人と知るべし

◎産土の産土たるを知る時は、人の人たる道に違はじ

産土の社
| kawashima1092 | 12:44 | - | - | - | - |
野口晴哉著 【大弦小弦】 七夕祭
七夕

僕は以前に冬至について述べたことがある。今日は七夕について述べたいと思う。毎年7月7日には七夕を行う。七夕の願掛けをやるのだ。野口晴哉先生は七夕祭というものを毎年やっておられた。心の力というものを再認識する縁(よすが)として七夕祭をやったわけである。

野口晴哉流の七夕願掛け法は、その著書『大弦小弦』に詳しく解説してある。この方法は、聖書のマルコの福音書などに、その原型がある。「いちじくの木を呪う」という節があり、キリストの話した内容と野口晴哉師が述べたことは通底している。興味のある方は研究してみてください。

以下、野口晴哉著『大弦小弦』より引用する。

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人間の願い −七夕祭にて−

ここの七夕では、毎年、集まった人達が願いごとを短冊に書くことになっています。書くと来年の今頃までにみんな叶うのです。叶わなかったという人はほとんどいない。それには願いを込めて口に出して言うこと、書いたことを人に言わないこと。自分も忘れてしまうこと。書いたことをいつまでも憶えているような心掛けでは駄目なのです。書いて自分の心にあることを全部空っぽにしてしまう、そうすると願いごとが叶う。・・・・

・・・・今日、皆さんが書かれた短冊を見ますと、願いごとの記し方についてはだいぶ理解されているようです。皆「こうなる、こうである」というような願いで、「こうなるように」というように書いている人は少なくなりました。
けれども、「どこの誰と結婚する」などという願いごとは駄目で、「わたしに最も適した人と結婚する」という願いなら、その通りになっていく。やはりそういう具体的な細々としたことは、宇宙意志とでもいうべきものに任せておく、一番最初の気持、それを端的に表現できれば、願いごとは叶っていくのです。・・・・

・・・・願いごとは言葉を口にだして、それからそれを紙に書いておけばよいのです。言葉を紙に書いただけでは、七夕まで届きません。一生懸命心を込めて、気を集めて言うとそうなるのです。人間が気を一つに集めて心を凝らすということは、決して無能無力ではないのです。実際に、注意を集めて願いを込めれば、どんな願いも叶うのです。・・・・
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気を込めて言葉を吐き、気を込めて書き、忘れてしまうこと。
秘訣は簡単なことだ。

毎年、僕は七夕の祈りをやっている。この七夕願掛けで、いくつもの奇跡的な体験をしている。気を込めて、皆さん実行していただきたい。

明日の七夕には、七夕操法会を行う。あわせて「瀧行気合法の会 発足式」も行う。参加者の皆さんで、大きな願いを掛けて、個人の欲求の充足、世の中が少しでも良くなるよう、研鑽したいと思う。
| kawashima1092 | 20:12 | - | - | - | - |
謹賀【整体ルネッサンス】新年 =平成21年己丑歳=
新年明けましておめでとうございます

野中豪策先生の残された遺法の真髄は「抜圧(ぬきあつ)」にあり。
先生は、操法で治るものを「人類病」、治らざるものを「淘汰病」と名づけました。野中操法の要諦を僕は次のように表現した。

『けんこうせん(健康腺) 指圧・抜圧(ぬきあつ) これ秘訣 抜けば 命の泉 湧く』

しかしながら、整体操法創始者の野口晴哉先生は「病気が治るのも自然良能なら、病気になるのも自然良能による」と述べられている。生命が尽きることですら、自然良能の一部だと考えていたのだと思う。その意味において野中操法が真実の意味で光芒を放つには、整体操法との統合がなされなければならないと考えている。

整体の真髄は、野口晴哉先生の『全生の詩』にある。

『   全生の詩
 
 我あり、我は宇宙の中心なり。我にいのち宿る。
 いのちは無始より来りて無終に至る。
 我を通じて無限に拡がり、我を貫いて無窮に繋がる。
 いのちは絶対無限なれば、我も又絶対無限なり。
  我動けば宇宙動き、宇宙動けば我又動く。
 我と宇宙は渾一不ニ。一体にして一心なり。
 円融無礙にして已でに生死を離なる。況んや老病をや。
  我今、いのちを得て悠久無限の心境に安住す。
 行住坐臥、狂うことなく冒さるることなし。
 この心、金剛不壊にして永遠に破るることなし。
                        ウーム、大丈夫。』

『我宇宙の中心にあり』これこそが整体操法全体系の核心部分であると考える。
本年は『整体ルネッサンス』の幕開けの年と位置づけたい。

  2009年明けんとす 生きて甲斐ある 道 求めばや

さて、みなさま、今年も奮起してまいりましょう!

                             川島金山 謹記
| kawashima1092 | 00:00 | - | - | - | - |
【一陽来復 冬至】 =待乳山の聖天ガネーシャさん=
12月21日は冬至。昔からこの日をもって一陽来復という。お天道様(おてんとう)の出ているのが、もっとも短い日である。要するに一年を通じて昼間が一番短い日ということ。この日を境に陽気が増してゆくから、一陽来復(いちようらいふく)という。僕のところでは、冬至と七夕を大切にしている。整体協会では、七夕活元会というのがあるそうで、短冊に願い事など書くという。このことに関しての詳細は、野口晴哉著『大弦小弦』(全生社)に書いてあるから、興味ある向きは読まれるとよい。僕のところでは、野口晴哉の言われている通りの仕方で七夕の願い事(願掛け)をやっている。

冬至のほうは、整体協会ではやっていない。僕の祖父は易をよくした人物で、その血を引いているせいか、僕も易をやる。冬至に易の掛を得ることを『年筮』(ねんぜい)という。易により一年の指針を得るのだ。また冬至は「一陽来復」であるから、この日に何か決意するのも良い。

整体操法を真剣に志す人は皆これ同志である、これは僕の信条だ。沢山の同志が出てきて、一人一流派を標榜し、健康腺指圧療法や整体操法で世の中を益することを願って止まない。僕はいつでもそのように念願しているが、冬至の日にも、そのことを念願・決意し、易を立てる。

浅草の待乳山の聖天さんでは、恒例の星祭をやるので今日はゆくことにする。今年はインドの神であるガネーシャ(象の形の神様)の本がバカ売れしましたね。聖天さんも象さんの姿で親戚のようなもんです。勢いにあやかりたいものだし、軽いタッチの健康腺整体操法の本が書けたらいいなと思って
います。ホントは大体のプロットは出来上がってるんだけど。

(追伸)
浅草の聖天さんに、参拝してきた。ご僧侶の立派な声明、導師のお作法等、古式ゆかしいものであった。経頭の読経にあわせて、般若心経・観音経・本尊のご真言をあげた。朝には、太陽を拝して深息法・気合法等々の修練をして易の卦を得た。ドンピシャリであった。深く祈り、潜在意識に自他共に安らかなることを種えつけた。日々是好日とはこういうのをいうのであろう。
ウーム大丈夫!
さて、いよいよ暮れですね。
| kawashima1092 | 15:49 | - | - | - | - |
整体操法の同志へ 【師走・冬至のこと】
今日から師走(しわす)。今年も残すところあと一ヶ月。今年はあなたにとってどんな一年でしたか。あと一ヶ月あるので、この一年について考えるのは、まだ早いか。

12月21日は冬至。昔からこの日をもって一陽来復という。お天道様(おてんとう)の出ているのが、もっとも短い日である。要するに一年を通じて昼間が一番短い日ということ。この日を境に陽気が増してゆくから、一陽来復(いちようらいふく)という。僕のところでは、冬至と七夕をは大切にしている。整体協会では、七夕活元会というのがあるそうで、短冊に願い事など書くという。このことに関しての詳細は、野口晴哉著『大弦小弦』(全生社)に書いてあるから、興味ある向きは読まれるとよい。僕のところでは、野口晴哉の言われている通りの仕方で七夕の願い事(願掛け)をやっている。

冬至のほうは、整体協会ではやっていない。僕の祖父は易をよくした人物で、その血を引いているせいか、僕も易をやる。冬至に易の掛を得ることを『年筮』(ねんぜい)という。易により一年の指針を得るのだ。また冬至は「一陽来復」であるから、この日に何か決意するのも良い。

整体操法を真剣に志す人は皆これ同志である、これは僕の信条だ。沢山の同志が出てきて、一人一流派を標榜し、整体操法で世の中を益することを願って止まない。僕はいつでもそのように念願しているが、冬至の日にも、そのことを念願・決意し、易を立てる。
| kawashima1092 | 00:00 | - | - | - | - |

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