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野口晴哉著【健康の自然法】を読む(4) =掌心発現=
野口晴哉著『健康の自然法』にて掌心発現について書かれているところがある。野中操法と整体操法を融合する上でも、整体操法のみをやってゆく上でも、愉気法の理解と実践は真ん中にくる技法であると思う。整体操法の創始者である野口晴哉先生の記述は、本物の整体法を志す者にとって、裨益するところ大であると思う。同書P45〜46より引用する。

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    掌心発現について

掌心感応の生ずるところに愉気をする。之が何よりのやり方だ。しかし体は広い。掌は狭い。掌心感応の生ずるところを探さねばならない。ところが愉気をしていると相手の指に感応的な動きが生ずる。その部に感応しているといえる。相手の指の現われる感応的動きで掌心感応の生じ易い部分を求める。之を掌心発現という。
  
   拇指ーーー四肢
   食指ーーー腹部
左  中指ーーー頭部
   薬指ーーー胸部
   小指ーーー腰部

   拇指ーーー脊髄神経系
   食指ーーー太陽神経叢 交感神経系
右  中指ーーー中枢神経系
   薬指ーーー副交感神経系
   小指ーーー骨盤神経叢

掌心発現によって触手療法を行なうことがパパの体験ではもっとも効果がある。理由はパパにも判らない。ただ触手療法を行ない乍ら、人間のどんな細かな動きも見逃さないようにして来た四十年間の智慧だ。
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操法のはじめに愉気をやり、相手の背骨に気を通す。感応させるのだ。日頃から深息法の鍛錬をしている者は、深息法をしながら愉気すると良い。相手の背骨と自分の背骨が一つになって、背骨で息をしているように感じられる。このような感覚のときには、必ず掌心発現がある。発現したなら、そこを処として愉気しても良いし、関連部位の操法をするが良い。
僕の場合は、野中操法に結び付けてゆく。健康腺の整圧を根本操法としている。これには理由がある。このことは講習会でお話したいと思う。

愉気(輸気)ということについて一言述べておきたい。
愉気は、手だけで行なうものではないということだ。それは眼からでも、心からでも可能だということだ。
事実、僕は重篤な方の所に訪問でゆくことがあるけれども、心から気を発揮する心持だけで、その方の眼光が変化する。眼に力が出てくるのだ。だから操法者は、気で満たされてないといけないと思う。気を満たすためには、野口晴哉直伝の深息法・気合法を毎日少しずつでも鍛錬することをお勧めする。
教授してもらうのに、自由が丘の『整体院:大地』は、僕がお勧めしている指導室だ。若いが実力のある浜田貫太郎先生が指導している。
また、ご縁あらば僕が教授することもあろう。
とにかく明法の師匠に付かれれば良いのである。

特に初学の方は、『掌心発現』を大切に修練していってほしいと思う。

 川島金山 記す
| kawashima1092 | 00:20 | - | - | - | - |
野口晴哉著【健康の自然法を読む】(3) =触手療法の反応=
今日取り上げるのは、野口晴哉著【健康の自然法】(全生発行)の中から触手療法についての記述部分である。ご承知だろうが、触手療法とは愉気法のことである。愉気法(=触手療法)の重要性について、野口晴哉著『整体法の基礎』(全生社;P123)で次のように述べている。「・・・それは、高等技術を学んだ人でも、愉気する人にはかなわないからです。愉気する手は、注意を集めると、何処に硬結があるかがすぐに判るのです。愉気の出来ない人は絶対に駄目なのです。」

愉気(=触手療法)を日々の治療・指導に取り入れていると、野口先生の言われていることを実感する。効き方が全然違うのである。弛緩・過敏・排泄という経過が見事に現れる。愉気をするには、脊椎行気法・合掌行気法・深息法・気合法などに習熟しておくと更によい。愉気をするには、整体操法の指導者から「誘導」を受けるのがよい。野口晴哉に連なる気の誘導があるのとないのでは、愉気の質に違いがあるように思う。これは僕の偏見かもしれないが・・・。一度は整体協会なりで習ったほうが良いように思う。独習は我流になりやすいので注意が必要だ。

【健康の自然法】P44からの引用である。「触手療法の反応」という節である。
「触手療法を行なうと、相手の体に反応がおこる。弛緩・過敏・排泄の三つの変化である。たとえば歯の痛い時、触手療法を行なうと、先ず痛みが靖まる。止まったというのではなく静かになる。弛緩現象である。手の感じはまだある筈で、止まったという相手の言葉を信じて手を放すと、又しばらくすると痛み出す。相手の言葉より手の感じで動作すべきである。そのまま当てていると痛み出す。過敏現象である。そのうちつばが多く出て来、腫れがひいて来る。つばが口から溢れるように出だすと、排泄現象である。手の感じはなくなった筈だ。放す。終り−。
風邪なら汗又尿、胃の痛みなら下痢又は嘔吐、排泄現象はその体の状況に応じてさまざまであるが、どの場合も弛緩・過敏・排泄の行程がある。手の感じは排泄が終る迄ある。終って少し休んでいると、相手の体が変って来ることが相手にもこちらにも判る。
触手療法を行なったあとは冷やさぬこと、余分に動かさぬこと、しかし休み過ぎぬこと、温め過ぎぬこと、ユッタリした気持を保つことが大切だ。之は行われた人に対する注意で、行なった人は放念し、触手療法をしたなどということを忘れてしまうこと。之だけだ。」

以前に、愉気は気合としてある、ということを述べたが、実際限られた時間の中で行なうには、気合に習熟していないと難しい。専門家・プロとして触手療法(愉気)を行うには、呼吸法・気合に精通する必要がある。一度は野口晴哉が修業した、あの武州御岳山(ぶしゅうみたけさん)のお滝場で『御岳山気合修練会』を行いたいと思う。できれば冬場の大雪が降った後なんかがよい。大雪の後で御岳山〜大岳山に登山したことがあるが、登山者は誰一人もなく僕だけであった。雪を掻き分けて歩いたことをよく憶えている。滝場の前で一座の修行をしたが、とても清々しかったことを記憶している。

『御岳山気合修練会』では、気合だけでなく、その他のことも鍛錬したい。いま整体操法の先生とも相談しているが、竪琴かギターなど使用して弦を鳴らす実験をやることも企画している。野口晴哉が気合で竪琴を鳴らしたということを証明したいと考えている。興味のある方は、ご連絡ください。
| kawashima1092 | 00:00 | - | - | - | - |
野口晴哉著『健康の自然法』を読む(2) =体癖PR=
野口晴哉著「健康の自然法」(全生発行 改訂4版 P212〜213)より引用する。

「・・・パパは元来技術屋だから、機械のことを考えたり工夫したりすることはむずかしい。ステレオ再生機の知識で、体量配分計とか圧力計とかいろいろ考えたが、そういう測定器を考えるより、人間の体の動きをジーッと観察している方が楽しいし、易しい。これは他の人にはできない。だからパパは自分のやる方向を自分で決めている。測定器具の工夫は他の人たちにやってもらうつもりでいる。それ迄、パパの知識を結晶させ、体系づける。PRということはパパには苦手で、黙って懸命に人間を見ているだけで、四十年この方、PRということを意識して行ったことはない。これからの協会の発展のためにこういうことも必要なことになるが、パパにはむずかしい。パパは門人の人達にも黙って懸命にやれといっているから、誰もPR技術は下手糞だ。だから困っているんだ。もっともパパは東洋人であり、パパの門下も東洋人が多いから、PRを軽視することが技術の自信を示すことになるつもりになっているかもしれない。しかし体癖の知識は、多くの人に伝えなくてはいけない。苦手だがこれからはやるつもりだ。・・・」

改訂版は昭和40年代になって出版されたものであろう。少なくとも野口晴哉(のぐちはるちか)は晩年、最後の十年は『体癖PR』というような考え方を持っていたわけである。その後、PRというものがどのようになったかは歴史的事実が示す通りである。
| kawashima1092 | 00:47 | - | - | - | - |
野口晴哉著「健康の自然法」を読む(1) =体癖PRのこと=
最近、野口晴哉著「健康の自然法」を手に入れることができた。ある方から譲っていただくことができたのだ。「縁は異なもの味なもの」というけれども本当に縁というものは不思議である。実は以前、国立国会図書館にゆき「健康の自然法」をコピーしたことがあった。だから内容はほとんど知ってはいたが、詳しく読むということがなかった。そのうちにコピー版もどこかへ行ってしまい、どうしても現品がほしかった。

この本は、野口晴哉がご子息のために書いたものだそうだ。息子さん(ご長男)が高校生だった当時、アメリカに留学していて、実生活に役立つ整体法を、親心から野口晴哉先生が書いたものだ。
序にこうある「・・・内容は人間が健康に生くる為の心構えと不時の変動に対する救急操法である。ポンは高校一年生である。大人の為に記したものでないことを御諒承願いたい。
昭和三十八年八月  野口晴哉」 (※文中のポンとはご長男のこと)

僕の持っているのは、改訂版で「ポンに体癖を説く」等が付加されていて充実した内容になっている。野口先生の手が写っていることもファンとしてはたまらない部分でもある。

だいぶ前のことなのだが、版元の全生社に問い合わせしたことがあった。それは野口晴哉著「整体入門」の再版が出る前のことだ。「整体入門」と共に「健康の自然法」の再版の可能性についても訊いた。担当の方のお話では当分ないでしょう、というような答えであった。その後「整体入門」は再版されたが「健康の自然法」のほうは再版されなかった。今後も再版は無いようである。現物が欲しければ古本市場で買い求めるしかない。読むだけなら国会図書館にゆくのもよい。

話はそれるが、最近あの不二家から不二家ネクターの限定品が出荷されている。復刻版といってもよい。不二家ネクターは、1964年生まれ。昭和39年東京オリンピックの年に誕生した。僕が子供の頃、近くに不二家がありこのネクターを飲んだ。子供のころ大好きな飲み物で、なぜか味覚にだけ美味しさが残っていた。その後、あの美味しい飲み物は何だったのかと時折思い出していた。この世のものとは思えないほど美味しかった。このたび復刻したネクターは昔の味に近いものだった。これであったのかと納得した。野口晴哉は日本で一番美味い果物は、白桃と柿だと言っているが、僕もそうだと思う。ネクターは、白桃(福島産あかつき)を使用している。

経営が少し不安定になったり、勢いを出したいときに、老舗は古への復刻版を出してくることがある。不二家ネクターはまさしくそれだ。勿体ぶっていると言ってはいけないのかもしれないが・・・。正直なところ「整体入門」再版がなされた時は、同じことを感じていた。それならば「健康の自然法」も再版すりゃ〜いいのに、と思ったものだ。随分実践的なことが出ているから、その辺の治療師に真似されてはかなわんということなのか。あるいはご子息(ご長男)が嫌がったのかもしれない。僕の観測では、やっぱり再版はないね・・・。

この本のなかで野口晴哉は「体癖のPR」について述べている。PRが必要だと述べているのである。ここに野口晴哉の意志、そして気線につながる示唆があると思う。次回に本文を引用して述べたいと思う。
| kawashima1092 | 00:00 | - | - | - | - |

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