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岡島瑞徳先生からのギフト(2) =先生が指導した方の来院=
ブログ記事「岡島瑞徳先生からのギフト(1)」では、禁点の硬結を発見したことについて述べた。岡島先生の「新・整体入門」に記されている禁点の位置が正確であることを僕は体感した。

11月19日(水)の午前中に禁点の硬結に遭遇したわけだが、その日の午後に、或る女性から整体法を受けたいという問い合わせがあった。僕の治療・操法は、背骨その他への愉気と野中操法(腹部操法)・手足の操法・背中操法・頭部などすべて行うのだが、そのことをご理解していただいた上で予約を受けた。夕方にその方は来院した。

まず受付表・問診表に記入していただく。その方と相対してお話しを伺う。聞いてみると野口整体は知っていて、岡島先生に操法を受けたことがあるというではないか。お母さんが岡島先生に整体を習っていたそうだ。その後は岡島先生のお弟子さんで師範位だった方が独立したので、その方について整体法を学ばれたという。

僕は不思議に思い、「岡島瑞徳先生が亡くなられたことをご存知か」と訊ねた。するとその方は、全然知らないと言い、大変驚かれた。16日に経堂の道場で「偲ぶ会」があり、CS研究会は一旦閉会だともお伝えした。

ではなぜ僕のところに来院したのだろう。リーフレットなど見て、自分の知っている整体法のような感じがしたというのである。この方は今年の8月に引っ越してこられて、2才になるお子さんもいる。

いろいろとお話して、操法をおこなう。背骨を丹念に見る。さらにピアノ式の見方で看てゆく。この方の背骨を岡島先生も触れたのだ。子供頃に整体操法の指導を受けて育ったのだという。僕としては実に不思議な感覚であった。彼女の背骨を通じて、岡島先生、その先に野口先生が居られるように感じるのだ。それも、とても身近に感じるのだ。一度も会ったこともないのに。

操法が終わると、「子供を連れてきてもいいですか」と。僕はいいですよと言ったが、不思議な整体のご縁に驚きを禁じえなかった。岡島先生の「偲ぶ会」にゆき、縁が生じた。その縁が元で、かつて先生から整体操法指導を受けた方が来院した。「華厳経」(けごんきょう)というお経では「重々無尽縁起の法」という。じゅうじゅうむじんえんぎのほう、と読む。縁は連鎖して尽きることが無い。この縁の流れの中から本物の「幻の整体操法」は出現してくるのであろう。いま僕は、整体操法体得のために修練している。毎日執念を燃やして訓練している。19日、禁点の硬結を午前中に感得し、午後には岡島先生の整体操法指導を受けた方が来院した。僕はこのギフトをおろそかにはしない。
| kawashima1092 | 20:54 | - | - | - | - |
岡島瑞徳先生からのギフト(1) =「禁点の硬結」の玄義=
11月16日(日)の岡島瑞徳先生を「偲ぶ会」に行ってきたことは前の記事で述べた。僕は、先駆者としての岡島先生に感謝し、幻の整体操法を生涯にわたり追求・啓蒙することをご霊前に誓った。岡島先生の目指した「創体法」の全容はわからない。しかし、創体法の説明文を読み、今の時代というものをつき合わせて考察すると頷くところがある。細かい技法は理解できずとも、進むべき方向性はわかるものだ。

前にも述べたが、その人の死期は目に現れる、著しく生命力が無くなっているのがわかる。しかしながら、それがいつ訪れるのかはわからない。一週間後のこともあるし、数ヶ月後のこともある。整体操法の教えには「禁点の硬結の出現」というものがある。禁点といわれる部位に例の硬結が現れると「人は4日後に死ぬ」というのだ。野口晴哉は少年時代にこのことを発見したという。お腹を丹念に調べてこのような不思議な真理に到達したというのである。死ぬ者はどうやっても死に、生きる者は生きるのである。どんな治療術も、生きるという力がなければ功を奏さない。当たり前のことだ。敏感な手指によって生死を見分けた野口晴哉という人に僕は心から敬意を表する。問題は我々がその後を辿ることができるかということだ。

僕は整体操法を奉ずる者として、「禁点の硬結」を明確に感得することができなければ、一人前ではないと考えている。少なくとも自分に対してはそうだ。禁点の硬結を偶発的に看たこともあるが、長期にわたる観察の中で看るということはこれまで無かった。昨日、ある患者のお宅に伺った。この方のところには週3回はゆく。終末期の医療であり、ここ1ヶ月がヤマだと考えられていた。実は先週から、禁点(鳩尾)と呼ばれる部位の周辺が少しずつ硬くなり始めていた。こういう詳しいことは聞いたことが無い。しかし事実、周辺から硬さが出てきていた。少年野口晴哉が禁点の変化を知ることができたのも頷ける。鳩尾の硬結はいきなり出現するのではないのである。そして昨日、禁点の硬結が出現した。ご家族に見守られる中で僕はそれを触れることが出来た。その方とご家族との信頼関係が土台にあって、生命の尊厳に感応することができたのである。命というものに対して心から尊敬の念のないものには、禁点の硬結を感得することはないのだろう。儲けだとか名誉などに気をとられている者に、生命の尊厳に触れることは出来ないと僕は思う。

では禁点とは如何なる処なのだろう。いくつかの説がある。それは剣状突起の先端だとか、剣状突起の裏だとか色々といわれている。だから僕はそれらの処を丹念に看た。そして今回のことで正確な位置を知ることができた。それは剣状突起のニ横指下である。ここに小豆大の硬結が出現する。禁点の硬結を確認できたのは岡島先生のお蔭だ。「新・整体入門」という本の中で岡島先生は禁点の処を正確に述べていて下さったからである。

この出来事は岡島先生からのギフトだと思っている。16日に経堂の道場へ行ったことが、こういう奇しき縁に繋がったのだと感じている。先方のご家族は、その方が緊急入院することになり、僕に電話したが上手くつながらなかった。だから救急車で搬送される直前に、僕は禁点に触れることができたのである。少しでもタイミングがずれていたら、この機会はなかった。

そして同じ日に、更なるギフトがあった。岡島先生を操法において身近に感じざるを得ないことが起きたのであった。・・・(つづく)
| kawashima1092 | 01:14 | - | - | - | - |
岡島瑞徳先生への誓い =ご霊前にて黙念す=
昨日、岡島瑞徳先生を「偲ぶ会」があった。僕は経堂のその道場へ行った。道場に行くと会員であった方々が献花したり線香をご供養していた。かたまって話しをされている方々もいた。CS研究会の指導員の方であろうか、岡島先生は会員さんたちの後のことを気にされていた、ということを誰かにお話しされていた。優しい思いやりのある方だったのであろう。人間死んだらその人の価値がわかるというが本当だ。

僕は「天行健」という筆書きの額のあるその道場を訪れるのは初めてであった。雑誌「秘伝」の表紙に岡島先生が出ていて、袴姿で整体操法をしている号を見たことがある。確か1999年あたりの号だ。たぶんニ側の操法をされている写真だった。その袴姿の岡島先生の背後に「天行健」の額はあったと思う。今回ご供養のため参拝したが、たしかにその額縁は道場内にあった。

「天行健」とは易経からきている。六十四卦の中の「天」(乾為天)だと思う。「天行は健なり。君子はもって自らつとめて息まず」だったと思う。これは野口晴哉の人生観や思想の真ん中にあるものだと思う。天心というが、僕は天行健は天心なのだと思う。天の運行は常に健である。日は昇り、日は沈むのだ。小宇宙の人間が徳として本来備わっているのが天心である。だから単に禅的な悟り(「本性」)が野口先生の言われる天心ではないと僕は考えている。

岡島瑞徳師のご霊前にて、僕は「幻の整体操法」を自分の命尽きる時まで追求・啓蒙し続けることを誓い、黙念した。天行健であることを忘れず、自分もまた一本の薪であることを自覚する。薪は燃え尽きても火は消えることがない。薪に火を着けてゆくのだ。僕は大空に、大宇宙に幻の整体操法の火が燃え続けてゆくことを念じている。ウーム、大丈夫。念ずれば必ず現ず、である。
岡島瑞徳先生、生前お会いできませんでしたが本当にありがとうございました。衷心より合掌。
| kawashima1092 | 14:20 | - | - | - | - |
=創体法= 現代整体界の雄 岡島瑞徳先生の目指したもの
岡島瑞徳先生は、最晩年に「創体法」というものを提唱されていたという。お弟子の方々が今後どのようにそれを継承し表現されてゆくのか、活躍を楽しみにしている。CS研究会は、平成20年11月16日(日)をもって一旦閉会するという。残念ではあるが、果たした役割は大きかったと思う。岡島先生には本当にお疲れ様でしたと言いたい。岡島先生が目指した「創体法」というものがなんであるのか門外漢の僕にはよくわからない。しかし整体操法を志す一人として、岡島先生の言わんとしていたことを少しでも理解したい。そう考えている人間は僕以外にもいるであろうから、以下に岡島先生のご説明を載せることにした。みなさん読んでみてください。

「創体法は一言で申せば、「参加型の整体」ということになると思います。心や体の癖や歪みが集中的にあらわれているからだの部位つまり「その人の急処・ツボ」には、その人の感覚や記憶でしかとらえようのない独特の歴史や他の部位とのつながり等が潜在しています。その独特の内的ネットワークを知る=体感することこそ、その人が自分自身の体と出会うことなのですが、そのためには受け手が単に受け手に終始していたのでは無理なのです。つまり、例えば受け手の側が「そこは手足をこう動かすと楽になります」「そこは足の裏から息を吐くつもりになると痛みが浮き上がる気がします」「そこに指を当てられると昔のうら哀しい感じが甦って来ます」等々の反応を積極的に示しこちらの指導に対して感じていることを大切に育てていくことこそ、その人が自分の体と出会う唯一の道なのです。私は三十年の指導経験と体の研究から、そのことに深い確信をもっております。勿論私は調息整体法で健康づくりをし、心身を整える領域は大変に広いものがあると自負しておりますし、これはこれで今まで以上に多くの人々の役に立つものであることについては絶対の確信をもっています。ただ、本当に自分自身を知り、体と出会うためには、体に刻まれた癖や歪みや異常を自らのものと自覚し、これを自らの意思で修正していくことが必要なのです。しかし同時に自分を一番知らないのが自分自身であるというのも事実で、その点では客観的で正確な外からの眼というものも、ある程度はどうしても必要であるわけです。整体を超えた整体、参加型の整体こそが、これからの時代の先端を生きる人々に必ずや必要とされるであろうことを、何年も前から予感しておりました。それが、今「創体法」という名称をもって皆様の眼の前に誕生したのです。」(岡島瑞徳氏「創体法指導を希望される方へ」より抜粋)

正直、深い意味は僕にはわからない。わからないけれども、わかることが一つだけある。今と昔では時代が違うし、人間の生活環境や考え方も違うということである。整体操法を受ける感性も昔と今の人では違う。
「創体法」というのは、岡島先生の経験から出てきたものなのであろうが、現代という時だからこそ出てきたものなのではないだろうか。その意味で整体操法を志す者は、一人一流派が建前でよいのではないだろうか。
一人一流派の整体操法というものが大きく花開いていく、そういう様が僕の眼には、はっきりと見えている。
| kawashima1092 | 00:00 | - | - | - | - |
=岡島瑞徳先生に捧ぐ= 皮膚病一切奇妙の話
僕は以前、正確な皮膚病一切奇妙という操法を出来る者はほとんどいないと述べた。それは今もその通りであって間違いではない。なぜなら野中操法(健康腺療法)の手技の際の手の形は独特のものであり、口伝によって実地に伝授されない限りわからないからである。

併しながら岡島瑞徳先生は、野口晴哉(のぐちはるちか)が整体協会において教えていた恥骨操法(皮膚病一切奇妙)のやり方を図示して残しておられたのである。
汗顔のいたりである。
岡島先生は「五感が息づけばからだは蘇る!新・整体入門」(宝島社)に於いて野口晴哉流の恥骨操法を図解入りで残していた!
このことに僕は敬意を表する。
一人でやる仕方、他人が手伝う仕方、共に記されている。同書P68〜97を見ていただければ幸いである。

ただし以下の岡島先生の記述は訂正されなければならない。
『・・・「恥骨体操」という調整法があって、これは、皮膚病の体操なのですが、考案者の野中豪策という人は、この体操をやれば、ガンも治ると豪語していたそうです。・・・』(同書P83)という記述である。
まず野中豪策先生(のなかごうさく)は、体操などは編出していません。この「恥骨操法」なり「恥骨体操」という名称は、整体操法の側から命名した操法名であって、野口晴哉が名づけたものである。
野中豪策はあくまでも「皮膚病一切奇妙」と呼称していたのである。
野中操法の側からすれば、本当は健康腺療法の中の「皮膚病一切奇妙」という方法なのである。
実際、皮膚病一切奇妙を施術するには第一健康腺、第二健康腺、第三健康腺を把握して、それをきっちり整圧しなければならない。その上で「恥骨操法」(皮膚病一切奇妙)をやるのが野中豪策の操法の仕方です。
その他に「眼病一切奇妙」「腹病一切奇妙」「痔病一切奇妙」「脳病一切奇妙」等々があり、当然これらの方法も原型のまま僕は伝承しております。

以前の記事でも書いたが、晩年になり野中豪策は「ガンだけは難しいな!」と言われていたのです。彼は何万人もの治療をしてそういう結論を得たのでした。患者がガンではないと聞くと、「よしこっちのものだ!」といわれてガン以外のどんな病も治癒してたといいます。
ですから残念ながら岡島先生の記述は訂正されなければなりません。要するに野口晴哉が生前いわれていた情報しか情報源がなかったということです。
参考までにいうと野中豪策は昭和25年に亡くなっており、その遺骨は実兄の手により葬られたと言い伝えらています。息子さんが居られたが近年お亡くなりになり、その奥津城(墓所)は判明せず。いま僕はそれを探索している。

繰り返しになるけれども多少の情報の違いはあれども、野口晴哉・岡島瑞徳共に「皮膚病一切奇妙」「恥骨操法」を紹介した業績は大きい。
僕は前に、「整体入門」が恥骨操法を紹介した唯一の文献だといったけれども、これは訂正したい。
「『恥骨操法』の紹介文献、世に2冊あり」と。

「新・整体入門」のあとがきのなかで岡島先生は次のようにも述べている。
「・・・思えば私は、整体の創始者・野口晴哉先生を尊敬し慕い、その遺されたものを後世に伝えることをもって、我が使命と信じて来ました。・・」岡島瑞徳先生のあとがきの言葉を彼の遺志と感じ、あらためて先生のご冥福をお祈り申し上げます。合掌
| kawashima1092 | 00:00 | - | - | - | - |

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