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野口晴哉述 『触手療法講座』を読む 本物の遠隔愉気法(5)
野口晴哉述 『触手療法講座』を読む 遠隔愉気法(5)である。

野口晴哉先生の技法には、愉氣法(輸氣法)と感応法がある。
遠隔愉氣法は、感応法であろう。以心伝心というが、心から心へ意志が伝わってしまう。事実こういうことはあるのである。気が伝わることも当然あるのだ。

先般、我が「自然智の会」で、合宿を行った。秘伝合宿と銘打ち、霊術(=療術)復活の烽火を上げるつもりで開催したのだ。そのときに僕がスズメバチに刺されたことをご報告した。その経過が実におもしろかった。そのこともあらためて後日ご報告するとして、そのときに愛称:ザマミンさんと師範代の松浦先生がやってくれた愉氣がとても功を奏した。この出来事であらためて愉氣に着目した。

実際に日々の操法にて、輸氣を用いている。それは、輸氣であり気功法であり、霊気であり布氣というような方法だ。あくまでも防御法・護身をしながらの僕独特の法である。だから厳密に言えば、野口先生の言われる、天心の愉氣ではないのだ。

皆さんご存知の通り、僕は日本の密教・修験・古神法、チベットのゾクチェン等の修行をしている。お蔭で、主体と客体を一つにする「一味」の状態を感じることが出来るところまで修行を進めることができた。本性というものをつかむことができたわけだ。だから集中したときやあるがままの状態になるようにすると、例えば自分と他者という区別がなくなることがあるのだ。実際、天心の愉氣法とは、このような境涯の者のみが為しえるものなのだと思う。大抵は、ここまで修行が出来ていない。僕には滝行法・気合法という、強みがあり、型としてそれを掴み取る技法が完成されているのだ。

訓練された天心で愉氣をすると、相手の、そのままの状態が自分になるのだからたまらない。それを味わったことがないから、「愉氣は天心で」などと暢気なことを言っていられるのだ。もちろん野口先生は偉大な指導者だから、すべてを熟知し見切った上で言われている。凡人が聖者の教えを鵜呑みにしていけない。小生意気に大上段振りかざしても意味がない。

そのようなわけで単なる輸氣ではなく、天心の愉氣法を行うことにした。いまそれをやっていて感じるのは、膨大な情報量だ。背骨その他に愉氣をする、すると、その人の人生の一つ一つが、言葉ではない、圧縮した光の塊のようなもので、流れ込んでくる。魂の感応ということを野口先生は言われているが、本当にそうだと思う。魂が魂を感じるのだ。

遠隔療法の方法は、このような状態までになったときに真価を発揮する。野口晴哉先生のお言葉を以下に示そう。
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・・・遠隔療法を出来る出来ると言って、みなさんにお教えしないのは、方法がやるんではなくて、相手とか自分とかいう区別がなくなり、遠い離れた所、近い所というような区別がなくなってくると自然に行える。こうやって話しをしていても、千里も心が隔ててる人がありますでしょう。千里離れていても、すぐに向うの気心が通じる人がおりますでしょう。そういうように気心が通じなくては駄目なんです。だから遠い所へ行ってるとか、遠い所へ輸気するとかいうように思ったんでは駄目なんです。一つになっていれば良い。遠いも近いもない。そうすれば出来る。だから遠隔療法というのは方法ではなくて、そういう心の位置の問題(なのです)。・・・
(野口晴哉述『触手療法講座・十三』 昭和39年7月20日 於 瀬田道場)より
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よくお分かりいただけたであろうか。
距離の問題ではない。気を感じる、気が通うということが土台なのである。

しかし、遠隔法には、実際の具体的な方法が、やはりあるのである。
我が会では、そういう方法の鍛錬法も修行の課程に入ってきている。
整体の指導者ならば、天心による本物の遠隔愉気法ができなければならない。是非、皆さん夢を持って精進して欲しいと思う。僕もまた一人の術者として勇猛精進させていただこうと思う。
 
| kawashima1092 | 01:36 | - | - | - | - |
野口晴哉述 『触手療法講座』を読む 遠隔愉気法(4)
野口晴哉述 『触手療法講座』を読む 遠隔愉気法(4)である。
遠隔療法とか遠隔愉気法というと、言葉が介在するとか屁理屈をいいたがる人がいる。科学的にはあり得ないとかいう理由で是くいうのであろう。合理的に説明するために、言葉を介した暗示性を指摘しているつもりなのであろう。要するに認めることのできない人間は「はじめに答えありき」なのである。遠隔療法や遠隔愉気法などあり得ない、という答えから出発しているのだ。だから答えは暗示だろうという単純なものでしかない。
以下に引用した野口晴哉先生のお話は暗示では説明のつかないものである。まあ、遠隔を否定する御仁は、偶然という答えをいいだすのであろうが。まあ読んでみてください。

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遠隔療法
・・・・
この間も家出した人があって、自殺する恐れがあるというので親は非常にあわてておりました。それからどうしたらいいだろうと云うから、死ぬ気だけ無くしておこうと云って遠隔療法をやりました。
そうしたらば自殺しないで鹿児島の指宿という所で見つかって親も迎えにまいりましたが、その息子は死ぬ為に何度も海岸に行ったのだそうです。そして行ったら黙って死んだって誰も何の為に死んだか判らない。その心を書いておかなければいけないと、第一親の教育にならないと思ってそして心境を書き始めたのだそうです。書き始めるがなかなか文章がまとまらないので、書いては破り、書いては破りして、気がまとまらないうちに見付かったんだそうです。その何とか書いておこうと思ったのが、海岸に立って、飛び込もうと思った時間と、私が遠隔療法をやった時間とが、同じだった。だからその時に彼は、僕の遠隔療法の範囲に入って、それで書残して死ななきゃならんと思った。そこで心境を説明するとなると本になる位だと言うから、それを書き上げて死ぬつもりでいたんでしょうから大変だったんですね。
遠隔療法が病気を治すだけだと思っていたら、そんなようになるとは思わなかったとその人は言っておりますが、こういう心の世界の事は、心の以前の心、潜在意識といって普通の心以前の心に伝わるのです。そういう心以前の心が宇宙にまんえんしていて、いつでもみんなくっついてるんです。同じものなんです。ちょうど海の水と氷山のような関連だと思うんですが、だからどこで何があってもすぐに伝わってしまう。遠隔療法も不可能でない。まあそれはどなたにでもやれる。もう少し上手になったらそういう方法をお教えしますが、そういうように距離は構わないんです。
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僕としては、遠隔療法を検証するとか証明するとかいうつもりはない。信じる者は救われる、とかよくいうけれども、信じている人が活用するという一点でとりあげてもらえばよい。興味があるなら活用したり、調べたりすればよいだけのことだ。

例えば、こういうことがある。
ある方が整体法を受けに来て、後日電話なんかでいろいろ聞いてくるということがある。整体法に於いてはこういうことがままあるという。確かにそうだと思う。時としてご家族のことを聞いたり、特に子供さんの体調やら訴えてくることがある。そいうときには、いろいろな言い方があるのだろうが、遠隔で愉気しておくよ、という答えも大いに役立つ場合があると思う。活用の仕方は無尽である。

話は違うが、僕は明後日かつて内閣総理大臣をしていた方の娘さんのお宅にゆく。娘と言ってもすでに娘ではないが。その方の旦那さんは、元内閣総理大臣秘書官であり、運輸大臣であった人だ。僕は随分可愛がられたし、施術もよくやった。何でゆくのかというと、気合法を伝えるためにゆくのである。ある政党のプレジデントにコンタクトしたいので、のこのこ出かけるのだ。いずれ選挙になるであろうから政治家の先生達に本物の気合法により気合を入れて、腰をがっちり入れて、腹をつくって、国民のために働いてもらいたいが為だ。最近は腰抜けばかりだ。野中操法の継承者である我々同志は、ひとつ、腹をつくり、腰を入った人間を輩出する母体となろうではないか。
深息・気合法、遠隔輸気(思念)を使って僕は事に臨む。


| kawashima1092 | 10:47 | - | - | - | - |
野口晴哉述 『触手療法講座』を読む 遠隔愉気法(3)
野口晴哉の整体操法というのは、膨大な情報量がある。しかし技術の根本は愉気法だ。愉気法ができるようになるには、まず誘導してもらうことが必要である。自然に本能で手当てということもしているが、人間は随分昔にこの力を失ってきているので、誘導により愉気ができるようになることが大切なことであると思う。レイキ(霊気)でも霊授(アチューメント)とかいって回路を開くみたいなことをするわけだが、整体の愉気法のほうが単純で比較的安価なんじゃないかと思う。霊気系統は、何万円もの講習費をとる。まあ健康系の講習ビジネスだということだ。また、愉気法、レイキ、気功というのは根底にある考え方が違うと思う。このことはよく質問を受けることなので、機会あらば述べてみたい。愉気、霊気、気功、僕はすべて学んだ。奥に達しているのかと言われれば疑問だが、やり方は熟知し、ある程度の実践は重ねた。今日は野口晴哉述『触手療法講座』より、潜在意識教育、目についての講義、小児マヒ、等々いずれをご紹介しようか考えたのだが、『遠隔愉気法』を過去二回ご紹介したので、またこれを取り上げることにした。

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遠隔療法

今もこうやって感じないと、傍へ傍へくっつけている人がおりましたが、距離には関係ございません。気持が通りさえすれば、気が通ればもういい。気が通らなければ駄目なのです。だから目の前にいる人でも気が通らなければ輸気が出来ない。千里離れていても気が通れば感応します。そこで遠隔療法ということも出来るわけでありまして、小松さんと云う人がニューヨークで頸が曲がってしまって動かなくて、向こうのお医者さんは切って骨を治すとかいう事なので、しようがないから遠隔療法をしておりました。そうしたならば、翌朝はもう普通になっていた。なんでも僕がギューと頸を捻ったんだそうです。そうしたらボキッと音がして治ってしまったという手紙でした。夢をみたんです。だけどもそんな例はよくありまして、余りなんとかならないうちはやらないけれども、気が通ればすぐに出来る。
この間も家出した人があって、自殺する恐れがあるというので親は非常にあわてておりました。それからどうしたらいいだろうと云うから、死ぬ気だけ無くしておこうと云って遠隔療法をやりました。・・・(つづく)
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文中に輸気とありますが、これは原文のままで表記しております。本来は愉気と記しますが、その点ご了解ください。
僕の経験では、ラッポールとでもいうのか、自分が施術をしている方々の顔が時折フッと出てくることがある。おもしろいことに必ず連絡があり、施術を受けたいということになる。こんなことは何百何千回とある。いつしかこれがラッポール現象なのではないかと思い至ったが、それまでは周期説ということを考え納得していた。つまりこういうことだ。その方の体の不調の周期というものがあり、そのかたが不調を感じると僕のことを思い出し、それによって僕が感じ取る、こういう機序なのではないかと考えた。確かにこれは半分正解だが、体が不調になるのをこちらが先に感応したということもあり、これらすべてをひっくるめてラッポール現象なのだと結論した。
遠隔に応用するときには、その方の気というか存在を把握しなければならない。むこうがこちらを強く思念しているときもあるが、そんなときには非常によく気が通る。まずは、自分の気を満たす。そして相手の気も満たす。背骨に気を満たすのだ。その際に野口先生のやられた「死ぬ気」をなくすということもできるのだろう。おもしろいもので、だんだんやっているうちに自分の背骨すなわち相手の背骨になるような感覚がある。時にはすでに亡くなっている人の顔が思い浮かぶことがある。そんな時にも遠隔愉気法の仕方でするとサーっと想念が消えてゆく。まあ、目の前にいる人でも、遠隔でもやることは同じことである。パートナーや家族仲間のいるかたは、訓練されたら良いと思う。どんなことでも訓練したら上達する。
| kawashima1092 | 00:00 | - | - | - | - |
野口晴哉『触手療法講座』:遠隔愉気法(2)
前回、野口晴哉(のぐちはるちか)が『触手療法講座』於いて、遠隔による愉気を晴哉自身が行っていると述べたことを書いた。彼によれば、普通に愉気するよりもかえって遠隔のほうが効くということである。

師匠の松本道別翁(まともとちわき、本名:松本順吉)の『霊学講座:第三巻』の治療篇では、遠隔療法のことが述べられていて参考になる。彼が勧める1つの方法は、人間の暗示性を利用した方法である。施術者のほうも観念的な輸気をするとも述べてはいるが、技法の主体はあくまでも暗示性を利用した方法である。
もう1つの方法は、神霊のご加護のもと行う方法で、完全に霊法・霊術の領域のものである。(この辺の詳しい事は僕自身の研究で一つの見解があるのだが、このブログは野中操法&整体操法がテーマなので、機会あらば述べたいと思う。)

松本は、本物の遠隔についても述べている。原文を以下にご紹介する。
『・・・自力的遠隔療法にしても、千里眼的能力があって患者並患部病源等が透視される位になれば、霊力を輸って百千里外の疾病も正確に治癒せしめることが出来よう。又観法に長じて清浄観が自由に観想される様ならば、前野式静坐法に言ふ如く之を患者に移して遠隔療法に成功することも出来よう。併しそれは尋常一様の駆出霊術家に望む訳には行かぬ。・・・』

松本自身は、遠隔治療についてはあまり信用していないとも記述している。
しかし、ここで僕があえて遠隔輸気を述べたのかというと、整体操法の根本は愉気法であり、整体を受ける側の身体に必ずしも触れることを必要としないことが愉気の本質にあるからだ。
目の前にある人に愉気し、整体操法をする、あるいは野中操法や柴田操法をやる。いずれにしても、押さえるときでも、どんな時でも必ず愉気がある。
離れていようが、目前に居ようが、触ろうが触るまいが、いつでも愉気があるのである。
だから遠隔もなにもないのである。やっていることは1つなのだ。
自分にやることを行気といい、他人にやるのを愉気という。これも同じもののことである。深く息をすること、これが全ての技法の土台である。
| kawashima1092 | 00:00 | - | - | - | - |
野口晴哉『触手療法講座』:遠隔愉気法(1)
ひとかどの整体指導者ならば「遠隔愉気法」くらいは知っていよう。僕の整体操法修行に於ける先生は、年齢は若いが技術・知識は確かな人だ。
整体協会の過去20年の歴史で最高傑作といってよい力量の持ち主である。
しつこさという点では、僕も相当なものだが、先生も大したものである。
であればこそ、整体操法家として世の中に立つことが出来ているのであろう。

僕は整体協会の出ではないし、まったく無関係の人間だ。
しかし資料だけはいろんなところから集めた。その資料の1つに「触手療法講座」というものがある。触手療法講座10年分の講義録だ。もちろん講師は野口晴哉である。触手療法というのは「愉気法」のことであり、大変ためになる講義録だ。この講義録に遠隔愉気のことが記されている。整体協会の方々は当然ご存知なのであろうが、野口晴哉は日頃から遠隔愉気をやっていたことがこの講義録には記されている。

臼井霊気療法などでは「遠隔霊気」の具体的方法があり、レイキ関係者の間では周知の事実である。しかし本物の整体法(野口整体)の中にも「遠隔」があったとは驚きである。
そこで先生に質問してみた。遠隔愉気法をご存知かと・・・。
すると、では実験をしましょうということで、すぐに実験をした。
このように本当に修行し勉強しぬいた人というのは、どんな面倒な質問にも即座に応答できるものなのだと思う。

野口晴哉の遠隔愉気の指標としては、遠隔をしてあげる人の状態がわかるようでないと遠隔愉気は出来ないということがある。
これは野口の師匠の松本道別翁(まつものちわき)が「霊学講座」に於いて述べていることと、まるっきり同じである。
しかし、野口晴哉と師の松本の遠隔輸気(愉気)の方法は違うということだけ、ここでは述べておくことにしよう。
| kawashima1092 | 00:00 | - | - | - | - |

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